▲クエ9112 下十条電車区 1975-7
1975年春頃だったと思いますが、「鉄道ファン」誌の読者コーナーで偶然見つけたのが下十条区のクエ9112でした。曰く「近年動いた形跡はなく、老朽化も激しいことから廃車になる公算が高い」由、早速夏休みに訪問です。
サエの方が旧伊那電買収車に対し、こちらは省電クハ15形からの改造、言ってみれば生粋の木造国電最後の1両ということになります。
▲いずれも下十条電車区 1975-7
どこで情報を仕入れたのか「全ての列車で且つ全ての形式」をコンプリートしようと企んでいたようで、発着時刻に合わせて3回も往復していました。
▲下十条電車区 1975-7
自身が救援されそうな救援車として有名でした(でも撮ってない)。両国駅列車ホームの賑わいも貴重な記録ですね。
返信削除非冷房103系のズラリと並ぶグロベンも壮観です。
返信削除最後の院電クエ9112は前面の視界を支障しそうな補強もすごいですが、大船への廃車配給時は更に側面に角材を打ち付けて走ったんだったっけ? あと画像を見る限りはATSが装備されていないようですが、電動車にぶら下がるか挟まれて走ること前提、事実上「サエ」になっていたみたいですね。
モハメイドペーパーさん
返信削除池袋時代を含め、果たして救援車としての使命を担ったことがあるのか、疑問です(笑)。
鉄道ファン誌に載った豆粒のような投稿記事に気付かなかったら、私も見ないまま終わっていたと思いますのでラッキーでした。
この頃の両国は、4種の急行が次々にやって来て楽しい駅でした。海水浴客で賑わっていますが、72系や101系の快速時代に比べると、まだ非冷房153系もあったとは言え、随分と快適になったでしょうね。
雪うさぎさん
返信削除この頃103系冷房車といえば中央線特別快速と山手線ATC車くらいで、京浜東北線は殆ど非冷房でした。
またご指摘のとおり、クエの廃車回送は前・側面に補強板を打ち、クモヤ90に挟まれて大船に向かった筈です。動いた記録は見たことがありませんが、ATSはなく実質的にサエだったと思います。
ちてつさんがクエ9112の廃回一週間前の姿載せていますね。
返信削除http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2013/12/blog-post_28.html
ところでクエと同じく、東十条で日向ぼっこの毎日だったクハ103-544は不在でしたのでしょうか?
12号線さん
返信削除廃車回送に向けて、前・側面に絆創膏のような補助板がはめられた姿ですね。
鉄道ファン誌でクモヤに挟まれて大船へ向かうクエを見ましたが、廃車回送が何年かぶり(おそらく池袋から転属後初めて)の本線走行とは、と悲しい気がしたのを憶えています。
クハ103-544のことは始めて知りました。写真の当時は前面が壊れた姿で残っていた筈ですが、気持ちはクエ一色で(笑)、気が付かなかったです。この頃は103系も撮影対象だったのに惜しいことをしました。