2018年3月10日

下十条の片隅にて

▲クエ9112 下十条電車区 1975-7

1975年春頃だったと思いますが、「鉄道ファン」誌の読者コーナーで偶然見つけたのが下十条区のクエ9112でした。曰く「近年動いた形跡はなく、老朽化も激しいことから廃車になる公算が高い」由、早速夏休みに訪問です。
▲下十条電車区 1975-7
 
クエ9112は飯田線・中部天竜にいたサエ9320と共に国鉄最後の木造車でした。
サエの方が旧伊那電買収車に対し、こちらは省電クハ15形からの改造、言ってみれば生粋の木造国電最後の1両ということになります。
▲いずれも下十条電車区 1975-7
 
中学時代の夏の1日、例によって東京・上野の優等列車を見て回ったり、私鉄駅巡りに精を出していましたが、この時のメインは両国を発着する房総急行。
どこで情報を仕入れたのか「全ての列車で且つ全ての形式」をコンプリートしようと企んでいたようで、発着時刻に合わせて3回も往復していました。
▲いずれも両国 1975-7
 
さてこのクエ9112、1972年に池袋から転属後はほとんど活躍しないまま77年7月に正式に廃車。現在なら格好のイベントの材料にされてから博物館入り・・・となりそうですが、至極ひっそりと最期を迎えました。
▲下十条電車区 1975-7

6 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2018年3月10日 22:57

     自身が救援されそうな救援車として有名でした(でも撮ってない)。両国駅列車ホームの賑わいも貴重な記録ですね。

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  2. 非冷房103系のズラリと並ぶグロベンも壮観です。
    最後の院電クエ9112は前面の視界を支障しそうな補強もすごいですが、大船への廃車配給時は更に側面に角材を打ち付けて走ったんだったっけ? あと画像を見る限りはATSが装備されていないようですが、電動車にぶら下がるか挟まれて走ること前提、事実上「サエ」になっていたみたいですね。

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  3. モハメイドペーパーさん

    池袋時代を含め、果たして救援車としての使命を担ったことがあるのか、疑問です(笑)。
    鉄道ファン誌に載った豆粒のような投稿記事に気付かなかったら、私も見ないまま終わっていたと思いますのでラッキーでした。
    この頃の両国は、4種の急行が次々にやって来て楽しい駅でした。海水浴客で賑わっていますが、72系や101系の快速時代に比べると、まだ非冷房153系もあったとは言え、随分と快適になったでしょうね。

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  4. 雪うさぎさん

    この頃103系冷房車といえば中央線特別快速と山手線ATC車くらいで、京浜東北線は殆ど非冷房でした。
    またご指摘のとおり、クエの廃車回送は前・側面に補強板を打ち、クモヤ90に挟まれて大船に向かった筈です。動いた記録は見たことがありませんが、ATSはなく実質的にサエだったと思います。

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  5. ちてつさんがクエ9112の廃回一週間前の姿載せていますね。
    http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2013/12/blog-post_28.html
    ところでクエと同じく、東十条で日向ぼっこの毎日だったクハ103-544は不在でしたのでしょうか?

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  6. 12号線さん

    廃車回送に向けて、前・側面に絆創膏のような補助板がはめられた姿ですね。
    鉄道ファン誌でクモヤに挟まれて大船へ向かうクエを見ましたが、廃車回送が何年かぶり(おそらく池袋から転属後初めて)の本線走行とは、と悲しい気がしたのを憶えています。
    クハ103-544のことは始めて知りました。写真の当時は前面が壊れた姿で残っていた筈ですが、気持ちはクエ一色で(笑)、気が付かなかったです。この頃は103系も撮影対象だったのに惜しいことをしました。

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