さて、車庫を辞した後は暫し走行シーンを狙うことにします。
加世田から伊集院方へ10分ほど歩くと、急に家々が途切れて田畑が広がるポイントがありました。
続いて枕崎方へも行って見ますが、時間がなくウロチョロしているうちに来てしまいこちらで妥協です。
さて、加世田からキハ303に乗って待望の区間に入ります。
加世田-枕崎間は輸送密度が伊集院寄りに比べるとガクンと落ち、途中駅は全て無人で全線一閉塞。人跡稀な地帯を走り抜けますが、その分風景も変化に富んできます。
バラストが殆どない線路ですから当然ですが、上下左右に壮絶な揺れで会話も碌にできません。
しかし、それ以上に強烈だったのは次々に出現する、崩れ落ちた廃屋のような駅舎。この区間は早くから駅の無人化が進み、1953年の内山田、干河、薩摩久木野から開始されています。津貫駅は最も遅く71年の無人化ですが、ずらりと並んだ竹箒が物語っているように地元で整備しているのでしょう、別格のように綺麗でした。駅舎群に目を凝らし過ぎ、スッカリ充血して枕崎に到着。衝撃的な車窓が続いたせいか、一段と立派なターミナルに見えました。国鉄ではなく鹿児島交通の管理で、立食い蕎麦屋や案内所があり町の中心らしい佇まいでした。
枕崎から指宿枕崎線で西鹿児島へ戻り、再び急行「かいもん」に乗り込むことにします。キハ47の車窓から開聞岳を眺めたり、難解な薩摩弁に耳をそばだてているうちに、辺りが暗くなってきました。
▲鹿籠-枕崎 1983-3
▲加世田では知覧線が記載された準常備券が普通に売られていました
▲営業中に発売された唯一の記念乗車券。廃線記念はバス券でした
南薩も加悦も別府もあと少しのことで手が届かなかった世代の者としては羨ましい限りです。施設も加世田の廃車体群も昭和50年代も末頃に見えないですが、「南薩鉄道」の準片、これの廃札は時折オークションでも見ますが、最後まで窓口で現用券として売っていたとは驚きました。「準片」自体が最早絶滅寸前の様式になりましたが。
返信削除南薩で思い出したのですが、末期にキャブオーバーバス(いすゞBF30)を改造したレールカーを企画したとか言う話もありましたね。種車となるバス自体が老朽車だったため改造に耐えられないというオチだったみたいで。
雪うさぎさん
返信削除当線も加悦・別府も学生時代に何とか間に合ったという感じで、腰を落ち着けて風景などを撮りたかったところです。加世田の準片は切符マニアの友人から情報を得て慌てて郵送で購入したものですが、上日置行以外に使い道が無かった訳ですね。
キャブオーバーバス改造のレールカーの話は湯口徹さんの著書で読んだことがあります。LEカーの登場がもう少し早かったら、とも思いますが過疎と施設のくたびれ方は限界でしたから、廃線は免れなかったでしょうね。