2018年5月3日

片上鉄道 益原の夏

▲同和鉱業片上鉄道キハ801 益原 1990-8

柵原の鉱石を運ぶ鉱山路線として敷設された片上鉄道は、静かな山里を行くローカル線の顔も持っていました。最短でヤマを目指すルートは備前矢田や周匝といったささやかな都邑も抜けますが、あとは吉井川沿いの長閑な区間を走ります。

そんな風景に惹かれて何度か通った片上線ですが、今回は益原駅周辺の記録からお送りします。
▲益原 1990-8

片上線の中心駅、和気を出てしばらく走ったかと思うと家々が途切れ始め、2つ目が益原駅。周辺は山々を背に農家が点在するだけの、純日本的な風景でした。

早朝の清しい空気を満喫しながら田圃の真ん中で待っていると、1日1本の客車列車・1レがやって来ました。
▲いずれも益原-天瀬 1990-8

畦道を全力疾走、近くの踏切から発車を見送ります。
期待した「展望車」ことホハフ2000形ではなく国鉄OBのホハフ3001+3002なのは些か残念ですが、当時既に貴重だった客レ、贅沢は言えません。

続いてやって来る柵原行も同じ場所で構えます。キハ801は小坂鉄道から1981年にやって来ました。
▲いずれも益原 1990-8

益原駅舎。
1972年に無人化されあちこち板で塞がれていますが、塵一つ落ちていない見事な整備っぷりでした。これは他駅も同様で、乗降客が数人-数十人という閑散駅ばかりながら、会社の几帳面な姿勢が窺えます。
▲いずれも益原 1990-8

田圃と山々の緑に囲まれたこの場所は一目で気に入ってしまい、岡山に投宿した翌日も陣取ります。休日のせいか、1レはキハ2連でやって来ました。
こちらは当線オリジナルの戦後製キハ312。
▲いずれも益原-天瀬 1990-8

▲本和気-益原 1990-8

時あたかもバブル狂想曲の第4楽章、大都市圏では文字どおり狂ったような消費と投機が繰り広げられていました。この山里にそんなことはどこ吹く風・・・に見えましたが、輸入鉱石の攻勢によって既に廃線がカウントダウンに入っていました。
▲キハ312車内 1990-8

4 件のコメント:

  1. ご無沙汰をしてます。
    当方、高2途中から卒業迄、岡山市に住んでいたのに、その時は一度も訪問せず、
    大学生になってからの訪問が初めてでした。
    今となっては、惜しいことをしたと思っております。

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  2. 北マトさん

    岡山は第二の地元でしたね!
    いつでも行けるからと思っているうちに逃してしまったのは私も同じです。
    筑波や関東鉄道などは大学に入ってからで、趣味的には面白味が薄れてしまい後悔する破目になりました。

    片上鉄道は沿線や駅風景に惹かれて何度か出向きましたが、それ以外にも岡山には観光・出張と公私共に機会が多く、西日本では最も縁がある都市になりました。

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  3. 片上鉄道、良い感じですね。
    そして地方私鉄路線の駅は絵になりますね。
    私が片上鉄道を訪問した時は珍しいC13の他蒸機が数両動いていました。
    貨物輸送がまだ元気な時代でした。
    あの頃に戻って撮ってみたくなります。

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  4. katsuさん

    名物・C13が長大な列車を牽きながらあえぐ姿は素晴らしかったでしょうね。1962年当時の蒸機時代は木造客車に珍奇な貨車、キハ04とまさに憧れの世界です。

    アップした写真の頃は既に貨物はなく車両も平凡でしたが、風光明媚な車窓がそれらを賄うに充分な役割を果たしました。手入れが行き届いた個性豊かな駅舎も素晴らしく、毎回清々しい気持ちで和気を後にしたのも良い思い出です。

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