2018年5月18日

続・東武佐野線あちらこちら 


▲東武鉄道ED5023・ED5066 佐野市 1973-5

前回の記事では初めてのフィルムについて書きましたが(こちら)、失念していた同時期の東武佐野線をスキャンしてみました。

田島を出て一面に田圃が広がるこの辺りは、徒党を組んで自転車を飛ばしては遊び回っていた定番の場所でした。こちらは雨上がりの夕暮れ、間もなくやって来るED4020形のK633レを待つ間のスナップです(ED4010・4020の記事こちら)。
▲いずれも田島-佐野市 1975-6 
 
電機のバラエティ。
試作的要素が高いED5000、異端児5050、量産型の5010、そして角ばった車体の5060・5080形と色々なカマがやって来るのも楽しみの一つでした。
▲館林 1975-6
 
▲葛生 1974-5
 
▲佐野市-佐野 1974-6
 
▲館林-渡瀬 1974-2
 
▲佐野市-佐野 1974-6
 
▲田島-佐野市 1973-6 
 
▲佐野 1974-10 
 
▲佐野市 1973-6
 

葛生で入換に従事するED5010形。
▲いずれも葛生 1974-5
 
お粗末写真特集の締めはこちら、初めてのバルブ撮影です。
まだ本格的な夜間撮影など遠い世界のことだった頃、家から持ち出した三脚にヤシカを括り付け、適当にシャッターを切りました。
▲いずれも佐野市 1974-8

4 件のコメント:

  1. かつての東上線でもEL見る機会ありましたが、いつも片パン運用であったように思えます。
    ところで、東武のヨは何ゆえに黄緑の装いとしたのでしょう?
    もし今回のSL復活まで両者が残っていたら、列車の後押しはED5060、東武ATS控車はヨ101用いていたかもしれませんね。

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  2. 12号線さん

    電機もヨも1両ずつでも残っていたら、楽しいことになっていたでしょうね。やはり費用のせいか、私鉄で動態保存がほとんどないのはちょっと寂しい気がします。

    東上線にいた5010の若番は、私も片パンタしか見たことがありません。伊勢崎線系統はバラバラでしたが、東上線営業部の方針かはたまた秩父にようにホッパの関係なんでしょうか。
    ヨの塗装については現在まで謎です。貨車がひしめいていた時代ですから、遠くから分かるようにしたという話を聞いたことがありますが真偽は不明です。

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  3. ティーレマンファン2018年5月18日 20:02

    私が幼少期に伊勢崎駅で見ていた東武の貨物列車もいつも片パンでしたね。基本的に進行方向前寄りのパンを上げていましたが、時々伊勢崎折り返しでそのまま発車する運転士もいて、子どもながらにいいのかなぁ~?と感じていました。特に前寄りのパンを上げるというルールではなかったのでしょうか?

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  4. ティーレマンファンさん

    伊勢崎線では前パンでしたか。
    自分の記録の中でですが、改めて見返してみましたら佐野線は両パン・前パン色々で、東上線は前パンばかりでした。80年代の春日部周辺での記録では両パンが殆どでしたから、両パンか片方のときは前、が基本だったのでしょうね。

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