2018年6月29日

京福電鉄永平寺線 その2

▲京福電鉄モハ251 東古市 2000-3 

京福電鉄モハ251形は火災で廃車になった木造車を叩き直し、日車標準車体に載せ替えた電車でした。一見同じながら、京都のデナ11形を鋼体化したモハ241一派とは出自を異にします。

かつては2連を組んで大車輪の活躍でしたが、阪神車の登場で仲間を減らしてここ永平寺線が終焉の地になりました。
▲モハ251 諏訪間-京善 2000-3

さて、一夜明けてみると打って変わって氷雨降る鉛色の空。
めげずに東古市へ、先ずは早朝の本線区間列車からです。この列車は福井で折り返して勝山への出張列車になりますが、本来なら比島辺りで・・・という目論見もこの氷雨で断念、安直に251形同士の顔合わせを狙うことにしました。
本日の永平寺線当番はモハ252。
252は貫通側もHゴムだらけで何とも不細工です。しかし当線専任になったことで、2連時代にはめったに拝めなかったこの顔が図らずも常時見られるようになりました。
永平寺線は構内外れで90度右へ曲がり、後はほぼ一直線に進みます。
▲東古市 2000-3

さて、この雨と寒さでモチベーションも急降下、京善付近を少しうろついた後は早めに切り上げることにしました。
▲いずれも諏訪間-京善 2000-3

最後は市野々付近で。ここから永平寺へ向けて一気に昇っていきます。
▲市野々-永平寺 2000-3

たった2両で倹しくナワバリを守って来た彼らでしたが、この年暮れに正面衝突事故が発生、いとも呆気なく終焉を迎えてしまいました。そしてこの事故が新生えちぜん鉄道へと引き継がれる端緒となったのは周知の通りです。
▲いずれも東古市 2000-3

2018年6月23日

京福電鉄永平寺線 その1

▲京福電鉄モハ2110ほか 諏訪間-京善 2000-3

杉の美林を背に、由緒ありそうな旧家立ち並ぶ中を走り抜けたかと思うと、山深い中を一気に終点を目指す・・・京福永平寺線は僅か6キロながら変化に富んだ車窓を満喫できました。

2000年早春のこと、特急「しらさぎ」を福井に降り立ち直行したのは東古市。
この頃はたった2両だけになったモハ251形が交代で慎ましく走っていました。この日は出番はモハ251です。
▲東古市 2000-3

▲東古市-諏訪間 2000-3

▲いずれも諏訪間-京善 2000-3 

駅員さんから情報を得たのでしょうか、これ以降は夕刻まで旧阪神の2連が行ったり来たりになるとのこと。それならと、未乗区間だった勝山を表敬訪問することにしました。
▲比島-勝山 2000-3

ラッセル仕業を終えたと思しきテキ521+522が休憩中です。
▲勝山 2000-3

続いてやって来たのは最も気になっていた駅、松岡。
小振りながら大正時代の堂々たる駅舎が残り、有人とあって手入れが行き届いていました。線路と住宅地に挟まれて、ちょっと窮屈そうです。
▲いずれも松岡 2000-3

さて、そうこうしているうちに251の出番がやって来ました。再び京善付近に舞い戻り、小高い丘が見えたのでよじ登ってみることにしました。眺望は文句なしですが、白い電車は完全に埋没しています。
待ち兼ねた251だけに、寒風吹きすさぶ中レンズを換えて粘ります。
▲いずれも諏訪間-京善 2000-3

山影が迫り陽が沈む寸前、ぎりぎりのタイミングで下り列車がやって来ました。かじかんだ手ではシャッターがうまく切れませんが何とか成功、これにて撤収です。
▲いずれも諏訪間-京善 2000-3

歯の根をガタガタ言わせながら福井へ戻り、駅前の安ホテルへ投宿です。物足りなかった当線を明日も徘徊すべく、晴天を祈りました。
・・・次回に続きます。
▲比島-勝山 2000-3

2018年6月17日

夏休みはレールバス三昧+α その3

▲南部縦貫鉄道 坪川駅ホームからの風景 1996-8

坪川駅のホームに座り込み、ボケーとしながら有り余る時間を過ごしていると、七戸方向から「ゴー・・・」と軽い、しかし聞き慣れない音が聞こえてきました。慌ててカメラを取り出し、望遠レンズで覗いてみると・・・

あれは何でしょうか?
軌道自転車です。ドラム缶に積んでいるのは除草剤のようです。
よっこらしょっと。
木陰で小休止の後は、点検開始。
野辺地方向から歩いてきたおじさんと一緒に機械のアンバイを確かめています。小さなエンジンがついていますがどうやら除草剤散布用のようで、動力は人力でした。

点検が終わると二人仲良くツーリング・・・ではなく散布作業をしながら走っていきました。
▲暑い中、お疲れ様です いずれも坪川 1996-8

思い掛けない出会いに、妙に安らいだ気分になりました。
さて待つこと暫し、今度は本当に野辺地行がやって来ました。これに乗り込んで帰途につきます。
▲いずれも坪川-道ノ上 1996-8

野辺地に着く頃には薄暗くなっていました。
折り返して発車するレールバスを見送って打ち止めにしました。
▲いずれも野辺地 1996-8

「じゅうかん」はよく「存続すること自体がフシギな路線」と揶揄されました。新幹線七戸駅開業の暁には、連絡線として機能することを夢見ながら生き延びた・・・という話も伝説のように語り継がれています。

しかし、施設も車両も限界を充分に超えていた「じゅうかん」に、莫大な設備投資をする余喘があったか、甚だ疑問です。では、ここまで存続できた他の理由はあったのか・・・これは今もってよく分からないままです。
▲野辺地 1996-8

2018年6月12日

夏休みはレールバス三昧+α その2

▲南部縦貫鉄道キハ101 坪川 1996-8

さて、十和田市の安ホテルに投宿した翌日は、またも早朝から出動です。
先ずは十和田市駅で寄道。移転後の様子如何にと覗いてみると、1面1線の狭苦しい造りになっていました。東急から1982年にやって来た3800系も、少しくたびれた感じがします。
▲十和田市 1996-8

始発列車から狙うも、相変わらずドンヨリと重たい雲が垂れ込めています。気を取り直して、初履修の野辺地周辺に陣取ることにしました。
▲坪-坪川 1996-8

▲いずれも野辺地-西千曳

さて、午前の2本が行ってしまうとまたも延々と待ち続けなければなりません。
このまま引き揚げるか、レンタカーも返してしまったし・・・などと天を恨めしく仰ぎながら昼飯を頬張っていると、見る間に雲が切れて真夏の陽光が差してきました。事情が変わったと、並行する路線バスに乗り込みます。

やって来たのは坪川駅。
雨を存分に吸い込んだ、咽せ返るような草いきれの中、6レがやって来ました。
振り返るとこちら、坪川橋梁。今回初めて夏らしい光線に会えました。 
▲いずれも坪川-道ノ上 1996-8

300mmを付けたカメラに持ち替えて、列車が見えなくなるまで追いました。
坪川駅は土手の上に木組・板張りのホームがポツンと立つ、可愛らしい駅です。
▲いずれも坪-坪川 1996-8

折り返しの七戸行も同じポイントで。
▲坪川-道ノ上 1996-8

これで今回の予定は全て終了、七戸から戻って来る列車で帰るだけになりました。
板張りのホームに座り込むと、夏空の下、グリーンカーペットを敷いたような田園風景が広がっているのが見えました。

・・・とそこへ、遠くから「ゴゴー・・・」とレールを踏む音が響いてきます。
列車は来ない筈なのに何故・・・しつこく次回へ続きます。

▲キハ101車内 1996-8