2018年6月23日

京福電鉄永平寺線 その1

▲京福電鉄モハ2110ほか 諏訪間-京善 2000-3

杉の美林を背に、由緒ありそうな旧家立ち並ぶ中を走り抜けたかと思うと、山深い中を一気に終点を目指す・・・京福永平寺線は僅か6キロながら変化に富んだ車窓を満喫できました。

2000年早春のこと、特急「しらさぎ」を福井に降り立ち直行したのは東古市。
この頃はたった2両だけになったモハ251形が交代で慎ましく走っていました。この日は出番はモハ251です。
▲東古市 2000-3

▲東古市-諏訪間 2000-3

▲いずれも諏訪間-京善 2000-3 

駅員さんから情報を得たのでしょうか、これ以降は夕刻まで旧阪神の2連が行ったり来たりになるとのこと。それならと、未乗区間だった勝山を表敬訪問することにしました。
▲比島-勝山 2000-3

ラッセル仕業を終えたと思しきテキ521+522が休憩中です。
▲勝山 2000-3

続いてやって来たのは最も気になっていた駅、松岡。
小振りながら大正時代の堂々たる駅舎が残り、有人とあって手入れが行き届いていました。線路と住宅地に挟まれて、ちょっと窮屈そうです。
▲いずれも松岡 2000-3

さて、そうこうしているうちに251の出番がやって来ました。再び京善付近に舞い戻り、小高い丘が見えたのでよじ登ってみることにしました。眺望は文句なしですが、白い電車は完全に埋没しています。
待ち兼ねた251だけに、寒風吹きすさぶ中レンズを換えて粘ります。
▲いずれも諏訪間-京善 2000-3

山影が迫り陽が沈む寸前、ぎりぎりのタイミングで下り列車がやって来ました。かじかんだ手ではシャッターがうまく切れませんが何とか成功、これにて撤収です。
▲いずれも諏訪間-京善 2000-3

歯の根をガタガタ言わせながら福井へ戻り、駅前の安ホテルへ投宿です。物足りなかった当線を明日も徘徊すべく、晴天を祈りました。
・・・次回に続きます。
▲比島-勝山 2000-3

4 件のコメント:

  1.  モハ251形は残念な最期でしたが、個人的には大好きな電車だったので、幾度と通いましたが、朝2往復のみの勝山行き狙いに気を取られ、永平寺線での記録が少ないのが心残りです。勝山方面は線路自体は残ったけど、永平寺線は消えたので余計思います。この朝方の勝山行きと永平寺折り返しはモハ251形2輌と、旧阪神ボディのモハ1101形2輌でローテーションを組んでいたので、運悪く1101の方に当たることが多かったのもありましたが。

     因みに勝山便の方は、前日の夕刻に東古市行きとして出庫、そのまま東古市駐泊で、翌朝の福井行き→勝山2往復のパターンだったので、前日夜に東古市での駐泊車を見れば、翌日どれが入るか分かったのも懐かしいです。

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  2. 雪うさぎさん

    私は逆に永平寺線にばかり気が行ってしまい、勝山行の走行風景を撮り逃がしてしまったのが今でも残念でなりません(次回の記事に顛末を書きます)。比島周辺の併用軌道もどきで撮ることを以前から目標にしていましたが、これが最後の訪問になってしまいました。

    永平寺線のローテーション、私も阪神車に当たることがありましたが、この時は本社に電話して251充当を確認してから出向いた記憶があります。簡単に教えてくれる時代だったんですね。

    残念と言えば京善駅の、古いよろず屋を間借りしていたような駅舎を1枚も撮っていないことです。この時は綺麗さっぱり更地になっていました。

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  3.  比島の併用軌道もどき、私も好きなポイントです。やっぱり最も様になるのはモハ251形ですが、大柄な阪神や南海がのそのそ走る様もそれはそれで面白かったですね。ハズレ扱いだった阪神も、もう既に無いですから、ついでとか練習用だとか言いつつも今考えればシャッターを切っておいて良かったなと思います。

     京善のよろず屋、そう言えばそんなものあったね、私も気付いたときには後の祭りでしたが。正統的な木造駅舎も良いですが、十鉄の三沢とか、改築前の電鉄魚津とか瓦町とか、そう言う世界観もそれはそれで好きです。

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  4. 雪うさぎさん

    南海の大型車が比島を走る姿は本当に記録したかったところです。廃線区間(京福大野-勝山)にはもっと大型の、しかも砂利道の併用軌道もどきがありましたね。
    三沢・電鉄魚津・瓦町・・・これは痛いところです。いずれも何度も利用しているのにこれまた全く記録できませんでした。木造駅舎偏重を改めないと後々後悔することになりそうです(苦笑)。

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