「じゅうかん」こと南部縦貫鉄道は、誕生から廃線まで紆余曲折の連続でした。
開通後早々と窮地に立たされ更生会社へ転落、しかし兼業に支えられながら1997年の休止まで持ち堪えます。その顛末は既に語り尽くされている感ありですが、持ち堪えたお蔭というべきか、最後までローカル線の風情を体感することができました。
96年夏のこと、定番列車の583系「はくつる」から野辺地に降り立つと、外は生憎の雨。しかし、めげずに先ずはこれまた定例の跨線橋からのファーストショットです。一番列車を見送った後はレンタカーで七戸へ向かいました。
先ずは以前から課題だった盛田牧場前のアップダウン。
軌道敷に除草剤が撒かれたようで、黄色く枯れていました。走り去るテールランプを狙ってみましたが、今ひとつ消化不良です。
七戸行が折り返して来ました。枯草が分からないモノクロの方が無難ですね。
▲いずれも営農大学校前-盛田牧場前 1996-8
午前の2本が行ってしまうと、4時間後まで列車がありません。
雨も蕭々と降るばかりですが、しかしそこはレンタカーの強み、七戸の車庫を覗いたり沿線をロケハンして回ります。
羽後交通からやって来たロッド式のDC251は1959年協三製です。
結局、この日は太陽が顔を覗かせることなく終了。あちこち見て回るうちに、早くも薄暗くなってきました。
▲中野 1996-8
▲盛田牧場前-七戸 1996-8
さて、遠路「じゅうかん」にやって来てレールバスに乗らない手はありません。夕闇迫る野辺地から下り最終列車・9レに乗車することにしました。
▲いずれも野辺地 1996-8
たった一人の乗客が隣の西千曳で下車。
その後の乗降はなく、停留場を次々に通過して行きました。
「ダンダン、ダンダン・・・」という、足先から脳天へ突き抜ける律動を堪能しているうち、あっという間に七戸に到着です。
さて降りたはいいものの、辺りは真っ暗、遠くに民家の灯がポツンポツンと見えるだけでした。照明が消え始めた駅舎内に残っていたのは、帰り支度に忙しい駅員さんを除けば、余所者の我々2名だけでした。
・・・次回に続きます。
バス車体の設計をそのまま流用したと思われるパーツが、運転席上部のメクラ板についていますね。
返信削除バスならば行先方向幕装置のウラ蓋になるのでしょう。ところで車内煙管の前に陣取っている赤い箱。
「す」の文字が見えますがすい殻入れなのでしょうか。禁煙ではないところが鉄道らしさを醸し出します。
12号線さん
返信削除キハ10は羽幌炭鉱に次いで黎明期のレールバスだったせいか、バスの部品をできるだけ流用しようということだったのでしょうね。この頃はバス本来の耐用年数を遥かに超えていましたが、よく持っていたものだと今更ながら思います。
車内の赤い箱は確か吸殻入れでした。もうこの頃は車内禁煙が当たり前でしたが、昔のをそのまま撤去しなかったのだと思います。お客が少ない路線ならではですね。