▲EF65527 「出雲」 東京 1975-1
「心に残るダイヤ改正」・・・世代や好みによって異なると思いますが、管理人の場合は断然50.3でしょうか。
西日本では新幹線博多開業で優等列車網のほぼ全てがリセット状態になった一方、関東では53.10(ゴーサントオ)大改正までの「つなぎ」といった印象でした。
しかしながら、東京口から20系特急の大半が消えていったり、EF56全車とEF57の大部分が引退したりと、鉄道少年にとっては一大事でした。鉄道各誌が一大ニュースとしてこぞって掲載する中、特に大阪口20系の動向記事を食い入るように読んでいました。
大改正がカウントダウンに入った1975年初頭、東京・上野両駅を立て続けに訪問、まずは東京駅です。流石に混んでいますが、昨今のように誰もがカメラを持つ時代でなかったせいか、至ってノンビリムードでした。当時の鉄道少年らの定番機はオリンパスペンEE、次いでフジカやコニカのコンパクト。一眼はまだまだ高嶺の花でした。
最長急行「桜島・高千穂」が入線です。
愛称板は盗難に遭ったのか、手製と思しき厚紙になっていました。
▲いずれも東京 1975-3
▲153系のサロも消滅です 東京 1975-3
続いては上野。
東北・上信越スジは優等列車の増発以外に変動は少なく、53.10改正まで持ち越しになります。そんな中の最大のインパクトは急行「北陸」・「北星」の特急昇格と20系化でした。
▲「あけぼの」はこの後も20系で活躍します 1975-1
房総方面も大きな変化がありました。
183系「しおさい」・「あやめ」の登場で特急網が強化される一方、急行列車も再編されました。
▲東京 1975-8
急行「なぎさ」・「みさき」は廃止され、代わって「内房」・「外房」が登場します。
一見華やかに見えた50.3改正でしたが、その後の相次ぐストや運賃値上げ、これに対処するための減量ダイヤ改正という悪循環に陥っていきます。そしてこのスパイラルが、転げ落ちるかのように国鉄解体へと突き進む引き金になりました。
▲東京 1974-8
この頃は東北筋でEF57を追いかけていて、EF58が来ると「外れ~」のブーイングでした。千葉の気動車も、気が付いたらいなくなっていましたね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除この改正を最後に、EF57を定期的に見ることができなくなりましたね。
私はぎりぎりで57の走りを捕えることができなかったので、何度地団駄を踏んだかわかりません。結局58を撮ってウサ晴らしをしました(苦笑)。
千葉の急行は最後まで冷遇されていて、電車になったはいいものの非冷房車だったりしましたね。