▲別府鉄道ハフ7 別府港 1982-9
2軸車や機械式バケットカーがごく普通に、淡々と走る姿を実見して驚いたのは1980年のこと。主目的だったハフ7が屋根の雨漏り修理中のため会うことができず、再会を期して九州に向かった道中のことでした( →→ その1/その2)。
それから早2年。
この年の夏休みは阪急電車を皮切りに、関西から中国地方をぐるりと回る旅を企みますが、雪辱戦とばかりに最優先でルートに組み込むことにしました。
前回と同じく、加古川から高砂線キハ35に乗車、5分で野口に到着です。駅構内をゆっくり観察する暇もなく、同時発車のキハ2にバタバタと乗り込みました。
発車しまーす。
流し目がちょっとコワイ車掌さんから車内券を買ったり、機械式の運転台に眼を凝らしているうちに、あっという間に別府港に到着です。
こちらは乗ってきたキハ2のプロフィール。
キハ2は1931年・三岐鉄道の発注車で現在も保存されています。
▲いずれも別府港 1982-9
さて、ここでようやくハフ7をじっくりと観察です。
「鉄道ファン」誌の非電化私鉄特集(76年9月号)で初めて見てから6年、やっと会えたという感懐にしばらく浸ることにしました。
古典的な車内。床や背もたれを始め、殆どの部分が木製のままです。
そうこうしているうちに、キハ2が野口から折り返して来る時間に。
隣の別府口まで小走りし、この区間のポイント・・・という程の風景ではありませんが、雑誌にも登場した巨大マンションとの組合せを狙います。
撮ったと思いきや、今度は土山線に乗車すべく再び走って引き返しました。
・・・次回に続きます。
▲別府港 1982-9
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返信削除野口線はキハ2なら当たり、キハ101なら外れと言ってました。
今から考えれば、贅沢ですよね。
キハ3は団体臨の増結用で走っている姿しか見たことがありません。
大当たりって感じですねw
土山線はハフ7が人気でしたが、
個人的にはハフ7の予備車で
元ガソリンカーの面影を残したハフ5が
当たりだと思ってました。
にぶろくさん
返信削除ありがとうございます。
私は2度の訪問で両方ともキハ2に乗ることができましたが、これが普通だと思っていたらラッキーだったんですね。ただキハ3の走りはとうとう見ずに終わってしまいました。
土山線の方はハフ7が修理中だったお陰でハフ5にも乗ることができましたが、今考えても昭和50年代にこんな車が走っていたとは信じられないです。
昭和50年代にこんな車が…
返信削除本当にそう思います。
稼働しているキハ3は
一番近い中小私鉄が別府鉄道という
恵まれた場所に住んでいた私ですが、
年に数回の団体臨しか見たことがありません。
(しかも多分客車代用です)
機関庫内のレカは撮影されましたか?
当時ハフ5、ハフ7、キハ3以上に衝撃を受けたのは
廃車とはいえガソリンカーが現存していた事です。
にぶろくさん
返信削除キハ3の走行シーンは私も「鉄道ファン」誌の「全国非電化私鉄特集(76年9月号)」でしか見たことがありませんが、地元でも滅多にお目にかかれないレアな存在だったのですね。
レカは当時は存在を知らず、DLやキハ101などを撮っただけで引き返してしまいました。残っていれば車庫の一番奥に鎮座していたはずですが、本当に惜しいことをしました。
1982年でまだこんな鉄道が存在していたのですね。名前だけは知っていたけど、乗れずじまいでした。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除鉄道ファンの特集で初めて存在を知るまでは、どんな車が走っているのか見当もつきませんでした。時刻表にもおまけのように小さくしか載っていなかったので、最初は阪神電車の支線と思い込んでいたくらいです(苦笑)。最初の訪問でハフ7に乗れなかったリベンジを期したお陰か、図らずも2回訪問することができました。
ハフ7の表記、最初はペンキ塗りだったのが切り文字にグレードアップしていますね。
返信削除写真でキハ2の背後に巨大マンションが写っていますがここに親類が住んでおり、別府鉄が健在な頃は踏切で警笛鳴らす列車を目の当たりにしたものです。
その当時から、マンションへの行き来に野口線の線路歩いたことももう時効でしょうか。
畑や田んぼも多かった別府ですが、今は住宅地と化してその面影もありませんでした。
12号線さん
返信削除コメントで初めて気づきましたが、ハフ5はペンキ表記のままで7だけが切抜きになっていました。
キハも分不相応に立派な切抜きですね(苦笑)。
写真のマンションに親類の方がお住まいとは、縁は異なものです。野口線は貨物がなく、旅客も9往復程度でしたから線路敷も生活道路になっていたのでしょうね。