▲能勢電鉄660ほか 平野-一の鳥居 1982-9
代々阪急電車のOBで占められてきた能勢電鉄。
1980年代は魅力的な小型車オンリーの世界でしたが、田舎私鉄偏重だった当時はあまり関心を向けることはなく、訪問はたったの半日でした。
1982年夏休みのこと、「せっかく鉄研メンバーが集まったから、たまには観光でも」と嵐山で集団投宿。しかし慣れないことはするものではなく、宿の雰囲気も何を食べたかも完全に記憶から抜けています。「絵ハガキみたいでつまらん」と思ったのか、嵐山の風景も1枚も撮っていませんでした。
阪急時代の610形は戦後の混乱期、木造車群を淘汰させ大量輸送時代の幕開けに一役買った中型車。1977年に能勢電にやって来た彼ら、三つパンタを振りかざす3M1Tは壮観でしたが、この後83年に3M2Tの5連に変わります。
結局、610形だけで一巡。
戦前派320・500形らは朝夕ラッシュ時にしか動いていないようで、車庫で会うことにしました。庫では最晩年入線組の616-666編成がお休み中でした。
▲平野 1982-9
・・・とここで枚数がいってしまいました。
次回に続きます。
▲平野-一の鳥居 1982-9
表紙の写真、とても懐かしく拝見しました。
返信削除小中高と西宮市に居住していましたが、阪急の最寄駅は、甲陽園線苦楽園駅でした。
当時の甲陽園線主力は、600番台形式車両3連でしたが、中でも非貫通の660が一番のお気に入りでした。
北マトさん
返信削除最初の写真には個人的に一番のお気に入りを載せているのですが、660に特別の縁があったとは奇遇でした!
貫通がノーマルの中で、最初に660を見たときはおやっと思ったのを憶えています。阪急の旧型車はほとんど体験がなく、610が疾駆する姿は見たかったです。
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返信削除最初の平野駅に入線してくる電車は、地上駅時代に踏み切り(北側に一般道踏切、少し南に下がって構内踏切)があった場所ですね。1974年3月に多田グリーンハイツ引っ越してきた私にとって、4枚目にある能勢口駅の写真が(1982年の時点で高校3年生)記憶に残っている能勢口駅ですね。
返信削除写真の少し前、70年代後半の頃は、昼間の時間帯は、300系・500系の3両?4両編成が20分に1本の割合で走っていたことも記憶していますし、写真の時代から少し後、宝塚線の1000系が転籍してきた時は、発車直後のカーブで車体が本当に建物ギリギリのところを走っていたとも記憶しています。
あずみ るうさん
返信削除地元ならではのエピソード、有難うございます。
私が訪問した時は600系オンリーで300・500は朝ラッシュ専用になっていましたが、走行シーンを見てたかったものです。
平野駅もこれ以来ご無沙汰していますが、現在は大分様相が変わっているのでしょうね。
能勢電は今でも阪急時代の名車が走っているので再訪してみたいと思っています。