「ケハ」と「ケキ」で占められていた茨交線に、道産子が大挙してやってきたのは1970年。以来キハ3710形が登場するまで、長くキハ20系列らが主役を務めてきました。
羽幌炭鉱鉄道からのキハ22に合わせ、渋いエンジ色へ模様替えした彼らでしたが、82年からクリームと青帯に、更に赤青の斜線が入るに及んで、すっかり写欲が失せてしまった管理人。
長い空白を経て、中根周辺の田園風景をメインに撮影を再開したのは、それから10年後のことでした。本日はその空白期間の只中、日立電鉄への道すがら立ち寄った記録からです。
▲キハ1002 那珂湊 1991-4
1991年春、既に大半は国鉄OBに代わっていました。
本日の当番はキハ113。111-113の3両のうち、2両が博物館入りしています。 この113は引退直前、1950年代の国鉄標準色に塗り替えられました。
まずはこちら、「ヘソライト」で異彩を放っていたキハ1002です。カーブで光束を軌道中心に合わせるという優れモノ(但し手動)でしたが、点灯している記録を見たことがありません。既に廃車のようで、ガラスが割れた痛々しい姿でした。
先ほど走っていた国鉄OBの兄弟車、キハ111・112・201が待機中でした。
色褪せたケキ103。この前年に廃車になっています。
隣の飲食店は閉鎖されたそうですが、三セクとなった現在も駅舎はほぼ変わらぬままというのは喜ばしいですね。
ヘソDCの車輪はスポークなのですね。
返信削除また関鉄筑波線に渡った炭鉱鉄道出身車両でも菱型台車の採用見られましたが、多少なりとも安価だったのでしょうか。
12号線さん
返信削除キハ1002のスポーク動輪は初めて気が付きました。
なぜ菱形台車になったのかは分かりませんが、丁度国鉄キハ10が誕生した頃で過渡期だったのかも知れないですね。後継車種の1100は大人しいですが洗練されたスタイルになっていますね。キハ20の車体に菱形台車を付けた夕張・雄別OBは好きな車両の一つです。