受験シーズンに入り、気分が沈みがちな79年の暮れが押し詰まった頃、試験会場の下見に行くと言う同級生に同行、その後近くだからと無理やり付き合わせて鶴見線へ。丁度、72系が終焉を迎えようとする頃でした。
▲浅野 1979-12
103系に置き換えられて古巣を追われ、第二の職場にやって来ました。
こちらは少数派になっていたクハ79三段窓車。
こちらはその2年前のスナップ。この間で随分と顔ぶれが変わった・・・と実感です。
▲上・武蔵白石 中・浅野 下・鶴見 いずれも1977-5
鉄でない同級生を引き回すのも限界があり、この日はホームでのスナップだけでソソクサと引き揚げてしまいましたが、これが旧型に会えた最後の機会になりました。
「番台分類が大雑把過ぎ」「72系じゃなくて73系」「そもそも近代化改造とは」・・・・などなど72系に関しては一家言を有する方も多いでしょうから、この分野に詳しくない管理人はこの位にしておきます(笑)。
101系になったら方向幕にちゃんと行き先を表示するのは扇町、海芝浦に向かう先頭のみ。鶴見寄りは鶴見線で固定されていました。毎日乗る人はそれでわかるけど、よそ者はちょっと戸惑いますね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除末期の72系はサボが色違いでしたので行先の見分けがつきましたが、101系導入の頃は乗り違いがあったのでは、と老婆心を持ってしまいますね(浅野で慌てて降りたり、とか・・・)。今回画像を見直してみて、70年代前半まであったサボは格好良かったなあ、と改めて思いました。
モハ72970の姿も見えますね。
返信削除武蔵野線開業時、72系更新車の投入も検討されましたので同車もオレンジに塗られたのでしょうか。
新性能化完了で廃車解体となったのは、惜しい気もします。
12号線さん
返信削除ほんとだ、これは気付きませんでした!
こんな珍車を見逃していたとは、今更ながら自分の無知蒙昧も含めてちょっとショックです(笑)。
関東では唯一のオレンジ72系でしたが、仙石線の仲間と同類ですからもう少し長生きしてもおかしくなかったですね。武蔵野線の高架を突っ走る72系も見てみたかったです。
こんにちは。はじめまして。
返信削除鶴見線の昔を知りたくて検索している中で、こちらの記事に辿り着きました。
旧型国電が似合う路線ですね。
沿線の工場は往時よりは静かになり、専用線も殆どが剥がされた今、粛々と旅客列車の走る様子しか見られませんが、お写真の頃にはもっと人も多く、貨物も入り混じって、見ていて飽きなかったのではないかと想像しています。
楽しく拝見させて頂きました。
他の記事も拝見させて頂いたのですが、貴重なお写真、楽しく見させて頂いています。
当方のブログにリンクを掲載させて頂きたく、ご承諾頂ければ幸いです。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
風旅記さん
削除はじめまして、訪問ありがとうございます。
また、拙作をご覧頂き恐縮です。
貴ブログも拝見させて頂きました。
旅情を誘う味わい深い作品ばかりで、また自分も撮影旅行に赴いている気分になれます。
リンクについては、こちらこそ宜しくお願い致します。
こちらも、よろしければ貴ブログのリンクを貼らせて頂きたいと存じます。
話は変わりますが、インスタグラムのID「kazetabiki」は風旅記さんのアカウントでしょうか。こちらもいつも拝見しております。
それでは今後とも宜しくお願い致します。
ご丁寧にお返事くださいまして、また、リンク掲載のご許可を頂きありがとうございました。
削除大変嬉しく思います。
当方のブログ、Instagram(書いてくださった通り私のアカウントです)もご覧くださったとのこと、こちらもありがとうございました。
写真の腕は一向に上がりませんが、鉄道での旅が好きで下手な写真を公開しています。
その時々の鉄道にそれまでの歴史や背景があり、そういったことを感じ取りながら列車に揺られているのが好きです。
こちらでお写真や文章を拝見し、また今の鉄道を楽しみたい気持ちが強くなりました。
リンクの掲載をご検討くださるとのこと、もしお手数でなければどうぞ宜しくお願い致します。
これからもこちらで楽しませてください。
宜しくお願い致します。