2018年10月31日

上野駅20番線のこと

▲485系「ひたち」 上野 1980-5
 
在来線だけで、しかも1線も欠けることなく20番線ホームまで。
一体どんな駅で、どんな列車が行き交っているのだろうかと、小さい頃からイメージを膨らませていたのが上野でした。
・・・という訳で、今回は鉄道少年時代から幾度となく通った上野駅20番線ホームからお送りします。
▲いずれも上野 上:1975-7 中:1974-5 下:1975-10
 
新幹線まで含めれば20を超える番線数は珍しくありませんが、在来線だけというのは唯一。東京駅(新幹線開業前)でさえ15番線までしかありませんでした。
▲いずれも上野 上:1973-9 中:1978-9 下:1980-5

華やかな13-18番線に比べると一番端っこで、ちょっと場末感もありましたが、一時は7往復を誇った常磐線の花形・「ゆうづる」を始め、「ひたち」「みちのく」といった優等列車、目立たないながら長距離普通客レも発着していました。

こちらは「ゆうづる」の24系化後の時代。
20系とEF80のゴールデンコンビは1975年に消えましたが、赤い電機の牽く青い客レはまだまだ魅力充分です。次々に発車する時間帯は、北の「匂い」・・・しかし同じ北への玄関口だった13-18番線とも違う独特の雰囲気が漂っていました。
▲いずれも上野 1978-9

特急「みちのく」は1日1往復のロングラン列車で、特急の名に相応しい列車でした。
▲いずれも上野 上:1978-9 下:1975-3 

こちらはロネ・ロザも連結した堂々たる編成の急行「十和田」。
▲いずれも上野 上:1976-7 下:1978-9
 
新幹線工事が本格化する前の1980年、この愛すべきホームは静かに姿を消していきました。列車を画面目一杯まで引きつける当時のフレーミングには珍しく、番線表示をメインに撮り名残を惜しんだのが冒頭の写真でした。
▲上野1978-9

2018年10月25日

築地松と古典電車 その3

▲一畑電鉄デハ61+デハ83+クハ183 一畑口 1994-8

松江に投宿後、さていよいよデハニ・・・と意気込んで始発前から行動開始です。
迷った挙句、1枚でも多く撮りたくなってスイッチバックの一畑口で下車。まずは先日と同じデハ23+クハ101、幸先良いスタートです。
▲伊野灘-一畑口 1994-8
 
レンズを取っ換え引っ換えしながらデハニを待っていると、やって来たのはデハ60形(2代)を先頭にした西武OBの3連。ひどくガッカリしてしまい脱力、冒頭のカットとこの2枚・・・これだけを撮るのがやっとでした。
▲いずれも一畑口 1994-8

気を取り直して、今度は交換風景を狙うことにします。
まず松江温泉側からデハ23+クハ101が入線し、待ち受けていたデハ82+クハ182と交換です。
方向転換したデハ82編成が松江温泉へ向けて先に発車しました。 
 今度はデハ23編成が発車。
少し前へ出てきたかと思うとぐいっと右へ急カーブです。改めて見ると地方私鉄としては線路やポイントが豪く立派で、全速力ですっ飛ばせるのも頷ける話です。
▲いずれも一畑口 1994-8
 
午後には今夜の宿営地・浜田に向かわなければならない身、最後はド定番・大寺駅で下車です。ここから美談・旅伏周辺までは田圃が広がり、来る度に陣取る場所でした。この辺りも平行道路が整備され、新しい住宅も増えて様相が随分と変わってしまいました。
▲いずれも大寺 1994-8

途中で車交があるかもという淡い期待も空しく、動いていた在来車はデハ23+クハ101の1編成に終始。何度か折り返して来るまで待ち続けました。
▲いずれも大寺 1994-8
 
▲大寺-美談 1994-8
 
▲川跡-大寺 1994-8
 
昨日とは打って変わって、風が吹き抜ける心地よい天気でした。
稲穂がサワサワとなびく以外に聞こえてくる音はなく、やって来たデンシャだけが静寂を破りました。
▲大寺 1994-8

2018年10月19日

築地松と古典電車 その2

▲一畑電鉄デハニ53 平田市 1994-8

デハ1形は1927年、北松江線電化開業時に誕生した生え抜きのデンシャでした。
クロスシートに改造されて特急にも入ったデハ20形やクハ化された仲間もいますが、デハ3と6は長らく大社線の主役として活躍します。
▲デハニ52 平田市 1994-8

さて、デハ6が行ったり来たりに少々飽きてくると、次は平田市の車庫を覗くことにしました。先ほど元気に突っ走っていたデハ6の相方、3の方は隣のクハ102と共に昼寝中です。




最も会いたかったのはこちら、2両のデハニ50形。
まずは入換えに励んでいたデハニ53です。明朝の3連運用で会えるのを楽しみにしながら、ぐるぐる観察して回ります。
▲いずれも平田市 1994-8

こちらは窓が木枠のままで残ったデハニ52。
53に比べると予備車の役回りでしたが、折しもお座敷電車へ改造中でした。これでもう通常運用に入らないと思うとちょっと複雑な心境です。

まあ残っただけでも良しとすべきか・・・とこの時は勝手な感懐に浸りましたが、この後コンビで団体運用や工臨に入ったりして延命、2009年春の「さよなら運転」で揃って営業運転から引退します。しかし、2両とも車籍は残っており本線復活の声もあるそうで、期待したいところです。

こちらは旧西武の70形。この頃残っていたのはこの72-172編成のみで、この翌年には正式に引退します。同期組の60形は既に消滅していました。
▲いずれも平田市 1994-8

車庫を徘徊するうちに薄暗くなり、そろそろ引き揚げることにします。
名残を惜しむように津ノ森で途中下車、ここで薄暮の宍道湖畔を行くデハ82を捕まえたところでタイムアップ。長い一日が終わりました。
▲伊野灘-津ノ森 1994-8
津ノ森駅舎。
1995年に改築されるまで、開業時からの古い駅舎が残り駅員も常駐していました。
▲いずれも津ノ森 1994-8

その後は松江温泉行に乗車、駅近くの超安宿へ向かいます。
・・・しつこくまだ続きます。
▲平田市 1994-8

2018年10月12日

築地松と古典電車 その1

▲一畑電鉄デハ23+クハ101 大寺 1994-8

最後の活躍をしていた山陰本線のキハ181形を捕え、その道中にはもちろん一畑電車へ立ち寄り、往路・復路とも「出雲」を奮発して先が見えてきたブルトレも堪能・・・我ながら上出来と一人悦に浸ったのは1994年夏のこと。当時の一畑電車は旧西武451・551系が幅を利かせる一方で、在来車も辛うじて余喘を保っていました。
▲キハ181「くにびき」 3両編成とは何とも寂しいです

▲ローカルは未だ国鉄型の天下でした いずれも折居-三保三隅 1994-8

さて、往路の「出雲」から降り立った時間帯は北松江線のラッシュには間に合わず、大社線へ向かいます。大社線は単行が行ったり来たりですが、ここは未だデハ1形の独壇場でした。

本日の当番、デハ6がすっ飛ばして来ました。
無骨な昭和初期製デンシャの全力疾走は実に痛快ですが、シャッターが追い付きません。
当地の風物詩、築地松を構えた旧家をフレームに取り込んでしばらく陣取りました。かつて沿線の其処彼処で見かけた築地松も、かなり数を減らしています。
今度はサイド気味に狙ってみます。
何しろ速度が速いので、1/125でも背景が充分ブレてくれました。
▲いずれも川跡-高浜 1994-8

1994年の夏は記録的な暑さで(毎年同じことを言っている気もしますが・・・)、日影のない田圃の真ん中で粘るうちに早くもスタミナ切れ。辺りにはコンビニはおろか自販機一つなく、出雲大社前で一休みすることにしました。絵に描いたような夏空はどこへやら、雲が立ち込めてきました。
▲いずれも川跡-高浜 1994-8

さて、何はともあれ先ずは干乾びた身体に水分を補給、駅舎内で小休止です。やっと生気を取り戻すと、次はド定番・駅から程近い高浜川橋梁を渡るシーンを狙いました。
▲浜山公園北口-出雲大社前 1994-8

出雲大社前駅舎。
独特の意匠のこの駅舎は1930年竣工で、動物の「センザンコウ」を彷彿とさせます。96年に有形文化財に指定されてからは、内外が改装されカフェも併設されて綺麗になりましたが、生活感はなくなりました。

近くの踏切から大社前駅を望む。現在、デハ6の左側にはデハニ52が保存され運転体験もできるスペースになっています。一度マスコンを握ってみたいですね。
▲いずれも出雲大社前 1994-8

・・・とここで枚数が行ってしまいました。次回へ続きます。
▲出雲大社前 1994-8