▲ローカルは未だ国鉄型の天下でした いずれも折居-三保三隅 1994-8
さて、往路の「出雲」から降り立った時間帯は北松江線のラッシュには間に合わず、大社線へ向かいます。大社線は単行が行ったり来たりですが、ここは未だデハ1形の独壇場でした。
本日の当番、デハ6がすっ飛ばして来ました。
無骨な昭和初期製デンシャの全力疾走は実に痛快ですが、シャッターが追い付きません。
今度はサイド気味に狙ってみます。
何しろ速度が速いので、1/125でも背景が充分ブレてくれました。
1994年の夏は記録的な暑さで(毎年同じことを言っている気もしますが・・・)、日影のない田圃の真ん中で粘るうちに早くもスタミナ切れ。辺りにはコンビニはおろか自販機一つなく、出雲大社前で一休みすることにしました。絵に描いたような夏空はどこへやら、雲が立ち込めてきました。
▲いずれも川跡-高浜 1994-8
さて、何はともあれ先ずは干乾びた身体に水分を補給、駅舎内で小休止です。やっと生気を取り戻すと、次はド定番・駅から程近い高浜川橋梁を渡るシーンを狙いました。
独特の意匠のこの駅舎は1930年竣工で、動物の「センザンコウ」を彷彿とさせます。96年に有形文化財に指定されてからは、内外が改装されカフェも併設されて綺麗になりましたが、生活感はなくなりました。
近くの踏切から大社前駅を望む。現在、デハ6の左側にはデハニ52が保存され運転体験もできるスペースになっています。一度マスコンを握ってみたいですね。
・・・とここで枚数が行ってしまいました。次回へ続きます。
私も同じ頃に一畑を追い掛けていました。真夏の炎天下を延々ロケハン、一息ついて次に移動、となっても来る電車は全て非冷房車、今なら遠慮しとくわ、となりそうです。当時はまだ学生だったのもありますが、それだけ魅力的な電車があったからこそ、なんでしょう。この頃だと山陰本線の気動車も非冷房車が多くなかったかな? キハ58もこの写真の組み合わせだとAU13は無意味になりますし。
返信削除一畑は当時は本当に速かったですね。デハ20+クハ100など次の駅が数百メートル先に見えて来る位までノッチ入れっ放しだったし、最終段、更に界磁タップまで使って、良く壊れないなーな走りっぷりでしたね。元西武451、551は本当に壊れそうな凄まじい音を立てて疾走していたのもまた懐かしく。
この訪問の印象はとにかく「暑い」と「速い」の一言に尽きます(笑)。
返信削除若かったとは言え、水分も碌に取らずによくも歩き回ったものだと今更ながら思いました。同時に訪問した北松江線ではたった1本のデハ23を目当てに延々と待ったりもしました。電車は速すぎてシャッターが難しかったですが、吊り掛け音を響かせて飛ばす姿は爽快でしたね。
山陰線のキハ58の冷房はオフでした。
出雲市からの移動で、疲れ切った状態で乗り込んだら非冷房でガッカリしたのも今では良い思い出です(笑)。