2018年12月4日

北陸鉄道浅野川線 その3・内灘にて

▲北陸鉄道モハ5101 三ツ屋 1995-8 

さて、続いて三ツ屋駅の反対側へ。
「引き」がなく殺風景ですが、住宅が建て込んでいる沿線ではここで妥協するしかありません。

管理人的には最も好きなモハ3551は、3000系列の仲間で最も遅く誕生したグループ。近代的なスタイルでしたが、井の頭線からの8000系転入によって他の仲間と共に淘汰の対象になりました。
こちらも3000系列のモハ3011。同じ仲間でも新製時期によって随分と顔が違います。
スノープラウが厳しいモハ3563は、元河南線モハ1800形で最後まで残った1両でした。温泉電軌時代に火災復旧車デハ20形として誕生、その後デハ26→モハ1803→モハ1831→モハ3563と変転し、終焉の地が当線でした。
▲いずれも三ツ屋-大河端 1995-8
 
3連が行ってしまうと、次に向かったのは粟ヶ崎駅。
元有人駅ですが無人化久しいようで、小さい駅舎は荒れ果てていました。駅のすぐ横、撮影ポイントになっている大野川橋梁で狙います。
粟ヶ崎に進入するクハ1001。
▲いずれも蚊爪-粟ヶ崎 1995-8
 
隣の内灘までは大汗を掻きながら歩いていくことにしました。
▲いずれも粟ヶ崎-内灘 1995-8

内灘で一休み。
車庫にはモハ3501らがいますが、何しろ狭い車庫で引きが取れません。3011の発車シーンを捕えて終了、次の目的地・京福永平寺線へ急ぎます。
▲いずれも内灘 1995-8
 
その昔、粟ヶ崎海岸まで線路が伸びていた頃の内灘駅は広く、砂浜のようなバラストの上を2軸車凸凹編成が走り去る姿をしばし妄想しました。
▲浅野川線憧憬の時代
 
▲三ツ屋 1995-8

4 件のコメント:

  1. いつも楽しく拝見させていただいてます。
    北陸鉄道の懐かしい電車たちは私は訪れたことがないので
    貴重なお写真で楽しまさせていただいれます。
    Hゴムの多様なお顔がこの電車のカラーととても良くマッチしていますね。(^_^)/~

    返信削除
  2. 夢鉄道さん

    今回もありがとうございます^_^
    北鉄カラーは無難な赤・黄色基調ながらよくまとまっていますね。
    不均等なHゴムだらけの顔も、逆にローカル色を引き立てていて好ましいです。モハ3551のポール姿はさぞかし格好良かっただろうと未だに妄想しています。

    返信削除
  3. 北陸鉄道の硬券、眼福です。
    学生の頃、初めて行った時には、これは無かったな。。。


    追伸
    最近はchitetsuさんと競演ですね。

    返信削除
  4. maru-haどの

    やはり切符ネタへの感度は凄いですね(匂いがするのでしょうか)!
    それは兎も角、北鉄の硬券は早くに姿を消してしまい、1960年代末期には既に一部の連絡券が残るだけでした。社線内は小松線・能登線などで金額式が残っていましたが、ほぼ絶滅状態だったかと思います。

    閑話休題、最近はchitetsuさんと記事がバッティングしていますが、惹き合うものがあるんでしょうか(笑)!北陸私鉄には惹かれるものが大きいですからね~~

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。