2019年5月30日

民家的駅舎めぐり その1

▲新潟交通モハ14 1990-9
 
さて、3連の次は沿線を撮り歩きながら駅巡りを開始です。
先ずはこちら、白山前。大通りのど真ん中に煉瓦造りの駅舎がドッカと居座る、唯一無二の駅です。
▲白山前 1990-9

お馴染みの歩道橋からのスナップは、当線を訪れた多くがファーストショットとして記録しているのではないでしょうか。立派な駅舎ながら恐らく昭和30年代から変わらない風情で、木造電車が停まっていても違和感はありません。
▲いずれも白山前 1990-8

ホームの先端から燕行の発車を見送ります。
▲白山前-東関屋 1990-8

この後はなぜかUターンして燕方へ、まずはこちらです。
灰方は田圃の中に佇立する長閑な駅ながら列車交換があり、貨物ホームや側線、脇には大きな農業倉庫もあって地域の中心として機能していた時代が偲ばれます。
待合所も雰囲気満点。
▲いずれも灰方 1・2・4枚目:1990-9 3枚目:1988-5 

隣の小中川は1面1線の停留所。
平屋建の駅舎は物置に見えなくもないですが、委託駅長のいる有人駅です。この細長い風体は各駅で微妙に違うものの、ほぼ共通の意匠でした。
▲小中川 1990-9
 
・・・とここで枚数が行ってしまいました。次回へ続きます。
▲白山前-東関屋 1990-9

2019年5月22日

デンシャがとおる その5・新潟の主

▲新潟交通クハ47ほか 白山前-東関屋 1990-9

定刻4:14、快速「ムーンライト」が東三条に到着。
長岡行夜行各停「733M」後継のこの列車は新潟通いを加速させた張本人で、早朝から撮り回りたい向きには格好の列車でした。

降り立った燕、眠い目をこすりながら留置中のデンシャを眺めていると、薄日が差してきて撮影スタートです。
▲クハ47 燕 1990-9
 
小田急車体のクハ45形・モハ16形は延べ7両が在籍。
車体はいずれもデハ1400形ながら出自来歴は様々で、自社オリジナルのクハから旧相模、伊那電、東武デハ1形といった陣容でした。

この日の主目的は早朝1往復だけ残っていた3連です。
先頭を務めるはクハ47、次いで45、モハ14という編成。クハ47は開業時の半鋼製車・クハ31がルーツで、1993年の部分廃止と共に引退したうちの1両でした。

やがて駅員さんが出てきて3連の組成を開始。クハの解結作業を眺められるのは、早朝の当駅ならではの光景です。
クハ49の前歴は旧相模のディーゼルカー・クハ33で、ワンマン改造を受けなかったせいか晩年は寝ていることが多くなりました。
クハ46は全線廃止まで生き残った最後の1両です。
▲いずれも燕 1990-9
 
さて、仕立て上げった3連に乗ってまずは東関屋へ、程なく折り返して来るところを狙います。やがて大きな体躯を揺らしながら、船のようにゆっくりと近付いて来ました。
▲いずれも白山前-東関屋 1990-9

宿願だった3連の「乗って撮って」は呆気なく果たしてしまいましたが、続いての登場はこれまた異色の旧小田急2200。フェンダーやワンマン化改造以外は車番も含めてほぼ原形のままですが、晩年は貫通扉が埋められるなどしてイメージが変わりました。
続いてやって来たのはモハ12。ここから単行デンシャばかりになります。 
▲いずれも白山前-東関屋 1990-9
 
車に白い眼で見られながら、しかし堂々と闊歩する姿は痛快でしたが1992年4月、他区間に先駆けて姿を消しました。ライトレールが俎上に上がるにはまだ早い時代でした。
▲燕 1990-9

2019年5月15日

雨空の下、別所線 その3

▲上田交通 上田原 1984-7 

凡そ新建材などとは縁のない木造部だらけの上田原車庫には、別所線を訪問した際には必ず立ち寄っていました。
駅舎や車庫建屋など、当時としては珍しく何枚も写しており、それだけ門外漢にも強烈なインパクトを与えたということでしょう。

さて、ここで漸く腰を落ち着かせて車庫を覗きます。
この古めかしいというには物足りない、凄まじい車庫(電車区)には750V時代のデンシャたちが実に似合っていました。

至る所に怪しげな物体が転がっていました。
改めて見ると、廃車体のドアを随分と有効活用しています。
信濃鉄道時代の車体も工作室として昇圧時まで活躍。
長電からやって来た2両のモハ600形のうち、611は部品取り用として動かぬまま終焉を迎えました。




駅舎やホームも壮絶さでは負けていません。
▲いずれも上田原 1984-7

車庫と一体となった別所温泉方面ホームにモハ5251が到着です。
別所線の象徴「丸窓」ことモハ5250形。
1984年から始まった巨大サボのお蔭で、せっかくの美形が・・・
▲いずれも上田原 1984-7
 
最後はこちら、上田駅で長電OBコンビをスナップです。
深い屋根に巨大パンタの「川造型」に上田カラーが良く似合っていました。
▲いずれも上田 1984-7
 
▲丸子線・真田傍陽線健在の頃

2019年5月8日

雨空の下、別所線 その2

▲上田交通モハ5271 上田 1984-7
 
さて、別所温泉を後にして向かったのは中塩田。
洋風建築の駅舎と共に、年季の入った上屋や待合所、保線小屋などが狭い構内に按配良く配置され、管理人の最も好きなローカル駅の一つでした(過去形)。
 
駅舎を周回していると、単行のモハ5251がゆっくりと入線して来ました。
▲いずれも中塩田 1984-7
 
そうしているうちに雨脚が弱って来たので、隣の下之郷までまた歩くことにしました。
晴れていれば山々をバックに広大な田園風景が展開するこの区間は、当線随一のポイントです。
▲今日はドンヨリです いずれも下之郷-中塩田 1984-7

下之郷での離合風景。
昇圧後は車庫ができたり駅員配置駅になったりして、当線の中心的役割を果たすことになります。
廃線当時のままで残る西丸子線ホーム。現在は待合所跡が整備されて資料館になっています。
▲いずれも下之郷 1984-7
 
次はこちら、千曲川橋梁。
当線ではメジャーな撮影ポイントながら、来たのはこれが初めてでした。
晴れれば反射する水面との組み合わせを狙うところですが、今回はアップを選択です。
▲いずれも上田-城下 1984-7

・・・とここでまた枚数が行ってしまいました。しつこくまだ続きます。
▲下之郷 1984-7