2019年11月19日

一畑電車の駅風景

▲一畑電鉄デハ23 大津町 1989-10
 
1990年代以前の一畑電車には開業時からの木造駅舎が多く残り、魅力的な駅風景が展開されていました。82年夏、初めて当線を訪ねた頃は「どこにでも転がっているシーン」として特段気にも留めませんでしたが、80年代半ばからでしょうか、ありふれたこの光景を好んで被写体に選ぶようになった管理人。
・・・となれば古豪デンシャと木造駅舎、この二つが揃った一畑電車を逃す筈がありません。

▲秋鹿町 1989-10
 
89年秋のこと、先が見えてきた食堂車体験を兼ねて特急「出雲」を奮発、一路松江へ向かいました。西武OBが幅を利かせていた頃ですが、在来車の活躍を期待して先ずは秋鹿町で下車、早速駅舎を観察です。
狭い待合室内にはもちろん出札窓口があり、木製のラッチにベンチ、チッキ、手書きの案内・・・と役者が揃っていました。
▲いずれも秋鹿町 1989-10

隣の津ノ森駅も秋鹿町とほぼ同じ意匠です。
▲いずれも津ノ森 1989-10
 
この日運用に入っていた在来種はデハ23+クハ103の1編成。
自社発注車オンリーだった頃に比べれば到底物足りませんが、当時既に車齢60年超、贅沢は言えません。
▲いずれも津ノ森-秋鹿町 1989-10
 
次に向かったのは布崎駅。
ここに限らず、無人駅は若干くたびれ感はあるものの綺麗に整備されていました。ゴミ一つ落ちていない構内に会社の姿勢が窺えます。
▲いずれも布崎 1989-10
 
田圃が途切れ、住宅地が現れた辺りにある美談。
かつては小さな停留場にも委託駅員さんがいて日々乗降風景が繰り返されてきた筈ですが、90年代から一気に無人化が進みました。
▲美談 1989-10
 
田圃の中にポツンと佇む大寺。
1979年と早い時期に無人化されていますが、窓口や事務室スペースが残っていました。
▲大寺 1989-10
 
大社線が分岐する川跡。
名アナウンスがウリの「おばちゃん駅長」で一躍有名になりました。
▲いずれも川跡 1989-10
 
現在なら駅舎巡りだけに丸一日掛けても足りませんが、この日はたった1本の在来車に飽きてしまったのか、午後から大社線へ転戦。大社線はワンマン単行が行ったり来たりながら、未だデハ3・6の独壇場でした。
▲いずれも出雲大社前 1989-10
 
さて、この日の締めは大津町です。
この駅も小ざっぱりした新駅舎に建て替わり、常時詰めていた駅員さんも平日早朝だけの嘱託氏だけになりましたが、この頃は昭和30年代から変わっていないであろうストラクチャが揃っていました。

構内踏切が泣かせますが対向ホームには何一つなく、果たして使われていたのでしょうか。
▲いずれも大津町 1989-10
 
一畑電鉄 川跡から美談あたり →→ こちら  


▲秋鹿町 1989-10

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