▲下津井電鉄2000系 下津井 1989-10
主力のモハ1001が落書き電車になってからというもの、すっかり足が遠のいてしまいましたが、デビューしたばかりのメリーベルこと2000系の初見参を兼ねての訪問です。
電車たちを見た途端に写欲が失せ、僅かに撮ったリバーサルの記録は既に記事にしましたが(→ こちら)今回はモノクロを中心にアップしてみます。
こちらは、赤白の下電塗装から緑一色のフジカラー広告電車になってしまったモハ103+クハ24。鷲羽山の駅舎は跡形もなく消え、敷地だけがガランと空いていました。
1980年夏の盛りにここを訪れ、当駅でしばし涼んだ時は大きな駅舎という印象でしたが、なくなってみるとこんなに小さかったっけ、とちょっと不思議な気がします。
待合所代わりのモハ110の車体は、半端に浮いているような危なっかしい場所に建っています。
離れ小島路線となった後は日中時間帯の主役として廃線まで活躍しました。
▲東下津井-下津井 1989-10
1988年の瀬戸大橋開業に合わせ、アルナ工機が当時の最新技術を導入して製作、下電では27年振りの新造車です。
しかし、彼と落書き電車、そしてフジカラー2連という総勢ではやはり遊園地のデンシャにしか見えません。
▲いずれも東下津井-下津井 1989-10
東下津井駅。鷲羽山や琴海など開業以来の駅舎が次々に消えていく中、最後まで残った木造駅舎でロケに使われたりもしました。
この前年に中間のサハ2が離脱した後は殆ど任務がなかったようで、翌年には正式に廃車になっています。
下電での活躍は僅か2年半で、一時は三岐北勢線での再就職も取り沙汰されたようですが、改造費が嵩むことから結局実現はしませんでした。
▲下津井 1989-10
下松工業高校から借り受けたサドルタンクが観光客を乗せてこの上を走る演出、しかし平日のせいでしょうか、人の気配が全くなく早々に退散するしかありませんでした。
しかしその目論見が実を結ぶことはなく、華々しい雰囲気の中で一瞬だけ咲いた徒花に終わってしまいました。エンドレスレールの上を果たして何人の観光客が乗ったのでしょうか。
廃線後はほぼ全てのデンシャが保管され、今なおボランティア有志による保存活動によって往年の姿を留めているのは喜ばしい限りです。
メリーベル号は私も乗りました。割と早い時期に中間車を抜いて2連になっていたようですね。一般の人は瀬戸大橋が目当てだし、商売になったのは橋を渡るバスの方だから、電車の廃止はやむを得ませんね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除中間車を抜いて2連になったのは知りませんでした。
するとデビュー間もないこの3連のカットはレア(笑)でしょうか。
瀬戸大橋開通間もない頃、京阪系の「フィッシャーマンズワーフ」にバスで立ち寄ったことがありますが、丁度バブル期と重なって一際華やかに見えました。その陰で廃線の影は着々と忍び寄っていたのでしょうね。下松工高から借りた蒸機が手持無沙汰に佇んでいる姿、未だに記憶に残ります。