2020年3月1日

切符から見えてくる風景

▲京福電鉄モハ251 諏訪間-京善 2000-3
 
以前、静鉄秋葉線の記録をアップしましたが(→ その1 その2)、最終日には廃線記念の「しおり」が配布されていました。

恐らくこの手の記念グッズとしては最古の部類で、まして無料配布のしおりとなると先駆的でした。同年、やはり静鉄の静岡市内線が廃止されていますが、その際も同様のしおりが作られています。
▲写真入りは当時としては希少でした

因みに切符がついた最初の「廃止記念乗車券」はN電こと京都市電北野線、2番目は西大寺鉄道でした。
▲デザインも秀逸
 
さて、昭和30年代後半は地方私鉄の「廃線ブーム」の黒い足音がひたひたと近付きつつある頃で、直後に襲来した高度成長時代と共に一気に加速。まるで奈落の底へ落ちて行くかのように、いつ終わるとも知れない廃線の嵐が吹き荒れました。
▲1969年に姿を消した上田丸子電鉄丸子線 八日堂 1963-6

高度成長と共に消えて行った路線をランダムに書き連ねてみると・・・

1960年・・・仙台鉄道  山鹿温泉鉄道  一畑電鉄広瀬線
1961年・・・秋保電鉄  九十九里鉄道  船木鉄道   上田丸子電鉄西丸子線  三重交通神都線  京都市電北野線(N電)
1962年・・・草軽電鉄  静岡鉄道秋葉線  同静岡市内線  西大寺鉄道  山梨交通  宮崎交通  北陸鉄道粟津線・連絡線  南薩鉄道万世線
1963年・・・伊豆箱根鉄道軌道線  琴平参宮電鉄 
1964年・・・尾道鉄道  遠州鉄道奥山線  荒尾市電  防石鉄道   熊延鉄道  松本電鉄浅間線  三重交通松阪線

▲一枚の紙切れから当時の沿線風景が広がります
 
1965年・・・北陸鉄道片山津線  南薩鉄道知覧線  一畑電鉄立久恵線  大分交通宇佐参宮線
1966年・・・淡路交通  秋田市電  大分交通国東線  茨城交通水浜線・茨城線
1967年・・・日の丸自動車(法勝寺電鉄線)  北陸鉄道金沢市内線  井笠鉄道矢掛線・神辺線  呉市電 
1968年・・・東野鉄道  頚城鉄道  沼尻鉄道  仙北鉄道  拓殖鉄道  寿都鉄道  天塩炭鉱鉄道  京福電鉄丸岡線  豊橋鉄道田口線 
1969年・・・花巻電鉄鉛線  秋田中央交通  上田丸子電鉄丸子線  定山渓鉄道  江若鉄道  大阪市電
1970年・・・静岡鉄道駿遠線  山形交通尾花沢線  山陽電気軌道  尺別鉄道  雄別鉄道  羽幌炭鉱鉄道 
※全廃前提の休止、一部廃止を含む

・・・とまあ、思い付いたものだけでも次々に出てきてしまい、とても書き切れません。
これに専用線や森林鉄道、北海道の簡易軌道などが加わると途轍もない数字になってくるでしょう。

▲デンシャばかりでなく、日々繰り返された乗降風景を夢想

廃止理由は災害・炭鉱の閉山・過疎化と様々で、全てが高度成長と、それと共にやって来たモータリゼーションのせいではありませんが、大方は関わっているのではないでしょうか。

これだけ矢継早に廃線になっているにも関わらず、記念切符やしおり(愛好会など非公式な発行を除く)が作られたのは半分弱といったところでしょうか。
廃線があまりにも日常的になり、あえて記念するようなイベントではなかったのかも知れません。
▲職員がこれらを作るときの心情は如何ばかりか
 
こちらは時代が下って70年代以降。
越後交通や北恵那鉄道など、辛うじて「チョイ見」が出来たきりで一期一会に終った路線、山形・庄内・尾小屋など寸分の差で間に合わず臍を噛んだ路線が幾つもありました。

廃線の嵐はまだ一向に収まってはいませんでしたが、沿線住民に見送られながら最期を迎えるシーンが多く見られるようになってきました。
▲山形・庄内の両社は久保田久雄さんの名作が絵柄に
 
▲一期一会だった路線・その1 北恵那鉄道 いずれも中津町 1976-8
 
▲その2は越後交通 上:下長岡  下:長岡 いずれも1974-8
 
▲筑波線は何度か機会がありました 上:樺穂 1987-3 下:岩瀬 1986-1
 
こちらは車両の「廃止記念」。
嚆矢となったのは東武鉄道から蒸機が引退した1966年の記念イベントで、ピーコック+54形電車3連のさよなら列車が花道を飾りました。
▲当時としては最高の発行額でした
 
さて、現在。
一形式のデンシャが引退するだけでもうお祭り騒ぎで、路線もろとも立て続けに消滅していった1960年代とはまさに隔世の感があります。

記念切符の方も、一大ブームとなった1970-80年代に比べると随分大人しくはなりましたが、それでも流行りの硬券が人気なのか、「転バイヤー」が暗躍するお蔭か、どこも即日完売だそうで。
▲最近のは絵柄が安直な気がします
 
▲走り去った野上電鉄 幡川-重根 1990-8

4 件のコメント:

  1.  改めてリストアップすると、こんなにも私鉄があったのかと驚きます。東武の蒸機さよならは1日中撮りまくりました。筑波と野上はギリギリの駆け込みで、記念きっぷが手元にあるのは東武くらいです。

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  2. モハメイドペーパーさん

    私鉄の廃止記念切符はブームになった80年代、ムキになって買い集めたせいか殆ど完集状態になりました。ただ後を継ぐ者がいないのでいずれは紙くずになりそうです(笑)。

    60年代の私鉄の多さには溜息しか出ないですね。
    この時代に撮影できる状況でしたら、1年が2000日あっても足りないくらい狂ったように撮っていることでしょう(笑)。東武蒸気を堪能されたのは羨ましい限りですが、ピーコックより電車の方に関心がいってしまいます。1966年と言うと、東武電車も32・54形だらけですね・・・とまた溜息です。

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  3. 眼福です。
    7枚目の写真の斜めの紫色のが気になります。港ができる前の加越能ですか?
    地紋は、独自のものですか?

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  4. maru-haどの

    やはり、この小さい切符に眼が行きましたね!
    お察しのとおり加越能・新湊港線で地紋は「地鉄」ですが、富山新港ができる前はまだ富山地鉄射水線でした。
    なので、この券は加越能に譲渡された1966年以降のものですが、71年にワンマン化されているのでその間に発券されたヤツということになります。

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