2020年4月26日

野上電車 夏の終わり 

▲野上電鉄デ13 野上中-北山 1990-8

沿線風景は至って平凡な野上電車。
「一度行けば充分」という向きもあろうかと思いますが、名鉄揖斐・谷汲線や片上鉄道と並んでしつこく訪れた管理人。骨董品級の電車がごく普通に動いていたことに加え、創業期から続いているであろう古い駅や施設との競演が通い詰める原動力となりました。

1990年夏のこと、この日は海南駅近くの安宿に投宿後、駅前からタクシーを奮発して重根(しこね)駅近くへ向かいます。朝夕しかない2連を少しでも多く捕まえようと始発列車から狙うためでした。
▲幡川-重根 1990-8

さて、日の出と共にやって来た始発列車は最古参のモハ23+27、幸先良いスタートです。
▲いずれも幡川-重根 1990-8

左右に住宅地が迫る沿線にあって、この区間は数少ない開けた区間でした。
続いてモハ24+26、31+32コンビが立て続けにやって来て、まさにゴールデンタイムです。
毎回検査や昼寝中の姿しか拝めず、巡り合わせの悪かった24の力行姿にもやっと会えました。
アングルが限られる中では同じような画しかできず、少し退いてみますが今一つ。
旧阪神31の巨大広告がちょっと残念です。
▲いずれも幡川-重根 1990-8

車高が低く屋根が深い、鈍重な印象のモハ23は最も好きなデンシャの一つです。
ルーツは阪急1形(箕面有馬電気鉄道1形)ながら度重なる改造で原型の面影は消失、唯一無二の風体になりました。
この翌年当たりから一線を退いてしまい、廃線の日まで殆ど走ることはありませんでした。
▲いずれも幡川-重根 1990-8

重根でタブレット交換。
日中用のデ10が出動を始めました。
▲いずれも重根 1990-8

続いてはこれも数少ない「引き」のある区間、北山駅近く。
カーペットのような刈入れ間近な田圃をメインに据え、午前最後の2連を捕まえました。
▲いずれも野上中-北山 1990-8

北山駅。
ほぼ各駅共通意匠の可愛らしい駅舎がありました。
ここから夕方までは2両のデ10形が行ったり来たりになります。
北山に進入するデ13。
▲いずれも北山 1990-8

2連が動き出すまでの退屈な時間帯は、日方に佇むデンシャに入り込んで古風な車内を堪能するのが常。一声掛ければ自由に構内を動き回れる時代でした。
▲いずれも日方 1990-8

そして陽が傾く頃、再び北山へ舞い戻って来ました。
ひぐらしの声を聴きながら何本かをやり過ごすうちに、闇が迫って来ました。
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▲いずれも野上中 1990-8

2020年4月19日

「タンコロ」有終 その2

▲江ノ島鎌倉観光108 鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12

さて、狭いながら電車がひしめく車庫を見て回ります。
先ずはこちら、小粒ながら洗練されたスタイルが好ましい800形。山梨交通が戦後発注した800形は同線廃止後に上田丸子電鉄に移り、1971年に江ノ電に嫁いできました。
編成ごとにスタイルが異なる300形は現在も305編成が健在で、江ノ電の象徴的存在になっています。

こちらは王子電気軌道の流れを汲む306編成。連接車へ改造時に下ライト化され、同時にノーシル・ノーヘッダのフラットな車体になりました。
301編成も同じ王電出身です。
▲いずれも極楽寺 1980-12

江ノ電塗装も似合う玉電の生き残り・600形もHゴム顔に下ライト・・・何ともありゃーな風体になっていました。
▲江ノ島-腰越 1980-12

早朝運用を終えた108の方は江ノ島駅の片隅、定位置にいました。
▲いずれも江ノ島 1980-12

さてそれから1週間後、いよいよタンコロ引退の日。
普段着とは違う「さよなら運転」には引いてしまう管理人ですが、この日は駅貼りポスターの誘い文句にまんまと乗っかりました。いつもは殆ど出番のない彼らもこの日ばかりは主役で、まずは江ノ島バックのド定番地から構えます。
▲鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12

駅まで追い駆けて発車間際に一枚。
▲いずれも鎌倉高校前 1980-12 

続いてはこれまた定番の併用軌道で。
この日は2両が交互に出動しました。
▲いずれも江ノ島-腰越 1980-12

2両とも乗客が鈴なりですが、沿線では軽装備のカメラマンにたまに会う程度でした。
▲いずれも鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12

狭い生活道路が並走するこの区間はドラマの舞台にもなりました。
古い民家がまだまだ残っています。ここで最後を見送って終了としました。
▲極楽寺-長谷 1980-12

現在なら俄かファンでごった返すところでしょうが、この日も終始ノンビリとした雰囲気の中、静かな最終運行でした。
▲いずれも極楽寺 1980-12

2020年4月12日

「タンコロ」有終 その1

▲江ノ島鎌倉観光107 江ノ島-腰越 1980-12 

「タンコロ」こと江ノ電100形が引退したのは1980年の暮れのこと。
最後まで残った仲間は107・108の2両、しかし定期列車で動いていたのは平日早朝の区間運転0.5往復だけで、あとは車庫で昼寝を決め込む毎日でした。現役最終章の頃、この僅かな運用を聞きつけた友人に連れられて江ノ電初乗車です。
▲極楽寺 1980-12

藤沢へ向かう道すがら、こちらも最後の活躍をしていた小田急1800系をスナップ。
ついでに撮っていた感ありの2200・2400系、もう少しマトモに記録すべきだったと後悔するも後の祭り。六会駅も橋上駅舎の現在と違いどこか鄙びた雰囲気でした。
▲いずれも六会 1980-12

さて、先ず向かったのは七里ヶ浜付近。
凛とした寒気の中、軽いジョイント音が聞こえて来ると同時に108が姿を現しました。

早朝のせいか車も歩く人もありませんでした。
いつも撮影者がいるメジャーなポイントになった現在とは、まさに隔世の感です。
▲いずれも鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12

峰ヶ原信号場で1000形と交換。
ぜいぜい言いながら追い駆けて、このカットを撮るだけがやっとでした。
最古参と最新鋭の顔合わせ、どんな挨拶を交わしているのでしょうか。
・・・という訳で本日の力行はこれでオシマイです。
▲鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12

続いてやって来る500形や300形も押さえます。
在来種が「下ライト化」され不格好になる過渡期で、一部はまだオデコにも乗っかっていました。
▲いずれも鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12

新造車ながら吊り掛け駆動の1000系もデビュー当時のままです。
▲いずれも鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12

2両のタンコロのうち、107の方は極楽寺車庫で昼寝中でした。
100形は製造年代やメーカーごとに101・105・106形に分かれますが、この2両は106形に分類されます。
▲極楽寺 1980-12

これ以外は軒並み前照灯が下がってしまい、遅きに失した初訪問を腹の底から後悔する体たらくですが、気を取り直して車庫に屯ろするデンシャを見て回ることにしました。
・・・次回に続きます。
▲鎌倉高校前-七里ヶ浜 1980-12