▲蒲原鉄道ED1 村松 1990-9
残った五泉-村松間(4.2㎞)は田圃と住宅地の混在する中を一直線に走ったと思ったらオシマイ、加えて幹線道路が並行とあっては食指が動かないのも当然でした。
既に加茂線廃線から5年が経っていました。5年振りの五泉駅は如何にとホームへ行くや、待っていたのは何ともありゃーなペイントがされたモハ41で、いきなり出鼻を挫かれてしまいました。
開業時からのデンシャを見てきたであろうこの建屋は、1999年の全線廃止まで変わることはありませんでした。
名鉄からやって来た木造車モハ21や旧阿南のハ2など怪しげなデンシャ達が屯ろしていました。出自に謎の多いハ1も出動していたようです。
▲上:村松 中・下:加茂 いずれも1964-10
全線廃止まで14年間もここに置かれていました。
▲いずれも村松 1990-9
モハ71は旧武蔵野デハ1320形で、この頃は最古参でした。
結局、この時は「さかな電車」が行ったり来たり。
至って平凡な風景の上にこの電車とあってはこれ以上居座る気力もなく、早々に引き揚げることにしました。これで最後かと思いつつ村松を後にしましたが、その後も新潟交通とセットでしぶとく訪問する機会を得ました。「さかな電車」も、しばらくして元に戻りました。
1984年・秋の蒲原鉄道 →→ その1 その2
1985年・加茂線廃止の頃 →→ こちら
▲高松 1985-1
私も同じく新潟交通とセットで訪問したクチです。
返信削除新潟と蒲原、岡山臨港と水島臨海、野上と有田と紀州…
地方私鉄はセット訪問が定番でした(笑)
冬鳥越はスキー場の斜面を登って俯瞰で撮影したような。。。
にぶろくさん
返信削除新潟と蒲原のセット訪問は定番でしたね。丁度両線とも同時期に廃線が取り沙汰されたせいもあってか、1998-99年に私も何度か出向きました。
野上・有田・紀州セットも貧乏旅行者にとっては「お決まり」でしたが、限られた時間では優先順位を決めるしかなく、有田はキハ58モドキで紀州がキハ600で・・・やはり野上に軍配があがりました。今考えると贅沢な選択ですね(笑)。
お金のない中高生の頃は
返信削除今からは信じられないような撮影行程を組んでいました。
近鉄内部線→三岐鉄道→北勢線→北恵那鉄道→木曽森林鉄道上松で1泊2日とか
神岡鉱山→富山地鉄射水線→糸魚川活性白土→尾小屋鉄道で2泊3日とか
それぞれ滞在時間が半日弱でもったいない限りですが
それだけ撮影対象があったのは幸せな時代でした。
にぶろくさん
返信削除木曽森林に糸魚川、神岡鉱山・・・と間に合わなかったというよりニブロクへの関心が遅きに失したせいで訪問できなかった路線がずらり並んでいますね。現在なら1路線で1週間かけても足りないくらいです。
撮る対象が多かった時代は半日といより車庫を一覗きして、はい次、という按配でしたね。
1路線に時間をかけるようになったのは社会人になってからで、既に大部分は廃止されてるか世代交代が終わっているかで、「あと10年、いや5年早ければ・・・」と未だに妄想しています(笑)。