最後まで残った仲間は107・108の2両、しかし定期列車で動いていたのは平日早朝の区間運転0.5往復だけで、あとは車庫で昼寝を決め込む毎日でした。現役最終章の頃、この僅かな運用を聞きつけた友人に連れられて江ノ電初乗車です。
▲極楽寺 1980-12
ついでに撮っていた感ありの2200・2400系、もう少しマトモに記録すべきだったと後悔するも後の祭り。六会駅も橋上駅舎の現在と違いどこか鄙びた雰囲気でした。
凛とした寒気の中、軽いジョイント音が聞こえて来ると同時に108が姿を現しました。
早朝のせいか車も歩く人もありませんでした。
ぜいぜい言いながら追い駆けて、このカットを撮るだけがやっとでした。
最古参と最新鋭の顔合わせ、どんな挨拶を交わしているのでしょうか。
・・・という訳で本日の力行はこれでオシマイです。
在来種が「下ライト化」され不格好になる過渡期で、一部はまだオデコにも乗っかっていました。
新造車ながら吊り掛け駆動の1000系もデビュー当時のままです。
100形は製造年代やメーカーごとに101・105・106形に分かれますが、この2両は106形に分類されます。
・・・次回に続きます。
70年代後半、富山地鉄の3530形を南富山で撮影して
返信削除いまだに2軸電車が残ってる事に感動したのですが、
江ノ電は80年まで営業運転していたのですね。
関西人には江ノ電を訪問するモチベーションが
余りありませんでした。
写真を見て後悔、残念です。
にぶろくさん
返信削除江ノ電はローカル私鉄というより観光路線の印象ですね。
私もこのイメージが先行してしまい、ライトが不恰好になるまで行かず仕舞いでした。
ドラマ「俺達の朝」に触発され、もっとモチベーション上げるべきでした(笑)。
・・・と言いつつ現在の騒乱状態(観光客が多すぎて地元民が乗車できない、など)にはやはり二の足を踏んでいます。
冒頭の腰越の併用軌道を行く107は
返信削除昭和30年代の趣きですね。
だんだん思い出したのですが、
当時の私は「江ノ電と西武山口線はパス」とか
完全に勘違いをしていました。
単コロだけじゃなく、元東急や元都電など
渋い車両がいたのに…大馬鹿者です(笑)
→観光ついでに見ましたが、撮影はしていません。
この頃は土日に休めない仕事だったので、単コロの最後も撮影できませんでした。車庫の107のとなりは
返信削除元山交の800形ですね。ジャンパ栓(電気連結器)が在来車は連結器の脇、1000形は連結器の上と試行錯誤していた時代です。
にぶろくさん
返信削除江ノ電と西武山口線はパスという姿勢は私も同じで、初訪問はえらく遅れてしまいました。
山口線などは蒸機がなくなる直前でした(頚城2号でないから余計に・・・笑)。
やはり、観光路線というか悪く言えば遊園地の乗り物の延長のような先入観があったのでしょうね。
ライトが下がる前の600形を逃したのは未だに後悔の日々です。
モハメイドペーパーさん
返信削除初代500形のジャンパ線がえらく上についていたのを思い出しました。
連接車2連が普通になった現在では電気連結器は必需品になりましたね。
旧山梨の800形は江ノ電の中で最も好きな電車の一つです(タンコロは争うくらい・・・笑)。
リベットゴツゴツの厳つさはありませんが、端正さと古めかしさを兼ね備えており江ノ電カラーも実に良く似合っていました。