▲長野電鉄モハ1502 信濃川田 1992-11
長野電鉄1000形・1500形は戦後間もなく日車で誕生した省規格型。
大正から昭和初期のリベットゴツゴツ・・・といった精悍さはありませんが、クセのない端正なスタイルで好感が持てる電車でした。
こちらは1976年、1000形が本線で3連運用に入っていた頃のスナップです。
赤ガエルこと2500形の浸食前夜は、開業時からの生え抜き組に元東武デッカーと強者揃いでした。
▲いずれも須坂 1976-7
こちらはそれから4年後、本線運用が最終章に入る80年晩夏。
chitetsuさん率いる鉄研メンバーらと飲まず食わずで飯田線を撮り歩いた後、夕暮れ近い屋代に降り立つと、クハを従えたモハ1502が待っていました。
▲いずれも屋代 1980-9
この日徒党を組んだ鉄研メンバーは、松代温泉の国民宿舎に集団合宿。
当時初々しい豊頬の新入生だった管理人、若さに感けてどんな騒動を起こしたのか、はたまた何を食べたかなどは遠い彼方の記憶ですが、やたらぬるぬるした茶色い温泉の感触は未だに残っています。
この頃赤ガエルは最大勢力を占めており、長野線の主役も当然彼らに交代していました。
▲いずれも須坂 1980-9
さて集団合宿の乱痴気騒ぎの翌日は、何食わぬ顔で須坂車庫に屯するデンシャを覗いて回ります。先ずはこちら、長野線で最後の活躍するモハ1001ほか3連。
派生形式のモハ1010形(←モハニ1010←クハニ1060)。
前のドアは荷物室のあった跡でしょうか。
同じくこちらもクハニ1060形から改造のクハ1060形。
クハ1050形はモハ1000形を電装解除して生まれた形式です。
・・・少数民族だったこの3形式は同系ながらちょっとヤヤコシイ履歴ですね。
▲いずれも須坂 1980-9
次回に続きます。
▲いずれも信濃川田 1992-11