・・・という訳でまずはこちら、長電初の4扉車、0系。
機能面では特に斬新ということはありませんでしたが、洗練されたデザイン。赤基調の塗り分けは他の在来車にも波及し、当線の象徴「りんごカラー」のきっかけを作りました。
1957年登場時は機能面・デザイン面そして運用面全てにおいて先駆的でした。もちろん全4編成が現役で、優等列車に各停にと八面六臂の活躍中でした。
一大勢力になった赤ガエル、もっとマトモに撮っておけば良かったと後悔です。
▲いずれも須坂 1980-9
既に戦線離脱しているものの、今にも動き出しそうな自社発注車もいました。
開業時に登場したデハ100形の一派のうち、最後まで残ったモハニ131はこの後整備されて小布施の「電車の広場」で保存されました。
モハ604・611の2両は上田交通へ嫁いでいきます。
▲いずれも須坂 1980-9
隣には越後交通から里帰りしたED511(旧ED5002)がいました。
こちらもこの後「電車の広場」で保存されますが、2000系が引退するやモハニ131共々玉突き式に追い出されてしまいます。しかしいずれも民間に引き取られ、解体を免れたのは幸運でした。
▲いずれも須坂 1980-9
さてこの日の鉄研メンバーの一団は、許可を貰って須坂車庫の見学会。
しかし前日の乱痴気騒ぎが祟ったのか、蒼白い顔でひどく神妙な者、在来車を放逐した赤ガエルを感慨深げに見詰める者、ホームから吐瀉物を撒く者・・・と一様に夢ウツツのようです。健全な新入生だった管理人だけが、余裕で1000形らを観察しているようでした。
▲モハ604車内。乗務員室間仕切りが風変わりです 1980-9
1000形はこの直後の1981年、権堂-長野間の地下化に伴って一挙に長野線から撤退すると河東線(→屋代線)へ集結、ここが最後の牙城になります。
最終メンバーになったのはモハ1003・1004、1501・1502、クハ1552でした。
▲いずれも信濃川田 1992-11
1985年の訪問記 →→ こちら
1992年の信濃川田 →→ こちら
▲いずれも信濃川田 1992-11
1980年のJKの制服って、こんなミニだったっけ?と思ったら
返信削除12年後だったんですねw
それなら納得です。
いつもながら本題ではないのかもですが、貨車や機関車に目が行ってしまいますね笑
返信削除このころは、国鉄も私鉄もある程度の駅であればだいたい駅本屋に面した1番線ホームの脇に貨車ホームがあり、ワムなどがポツンと停まってましたね。
それから、これも本題ではないのかもですが、駅の様子や架線柱がいいですねぇ~
ティーレマンファンさん
返信削除今考えると、本題ではない(笑)貨車や駅風景にもっと力点を置くべきでしたね。
いつも思うのが隅っこに写り込んでいる貨車をなぜ撮っていなかったのか・・・ですが、この時もチラリと見えるワム(ワラ?)やトなどには見向きにしませんでした。
架線柱は、当時は河東線はもちろん長野線(山ノ内線)も鉄骨でした。
しかし、1980年から少しは成長したのでしょう(笑)、92年11月での訪問では電車そのものより駅舎や駅風景との組み合わせが主体になっていました。
にぶろくさん
返信削除この時は地元高校生(中学生?)コンビに頼んで写させてもらいました。
「ウチらを撮るんですか?」と最初は怪訝な顔をされましたが、「はい、もっと自然に」などとあれこれ注文を付けながら何カットか撮らせて貰いました(笑)。
その中で納得いったのがご指摘のカットと「信濃川田 小春日和」の記事中にアップしたカットでした。今同じように声を掛けたりしたら、途端に不審者扱いされて前科一犯になっていたかも知れませんね(笑)。
私も鉄の現役当時は
返信削除通学のJKなど眼中になく
車両ばかり追いかけていましたが、
こうして写真を見るとローカル駅のJKは絵になりますね。
私も撮っておけばよかった(笑)
よく見ると、確かに中学生かもしれませんが…
にぶろくさん
返信削除現在のように猫も杓子も画像・動画を撮らなかった時代は、「写真撮らせて下さい」と気軽に(というには度胸も要りましたが・・笑)頼めました。
私は1980年代半ば頃から好んで駅員さんや乗客をフレームに入れて撮るようになりましたが、興味を惹くデンシャが少なくなる時期と一致しています。
長電0系、たまに4連組成したようですが写真にある通り密着連結器同士で連結したのかもしれませんね。
返信削除もしかしたら撮られた中にいるのかもしれませんが、アトラクション的存在ながら無蓋車が活躍の場を鳥取に移しています。
https://imgur.com/D49JmxC.jpg
12号線さん
返信削除0系の4連は見たかったです。中小オリジナル車での長編成(?)はあまり例がないので壮観だったでしょうね。
長電の貨車が保存されているとは知りませんでした。
貨車の系統だった保存例は貨物鉄道博物館くらいしか思い当たりませんが、もっと貨車に光が当たってほしいです。