▲大井川鉄道モハ302 金谷 撮影年不明
「電車博物館」と称された地方私鉄はいくつかありましたが、管理人世代だと断然「東の弘南、西の琴電」となるでしょうか。
特に琴電は開業時からの自社オリジナル車に加え、大手私鉄はもちろん中小路線からも数多くのデンシャが集まり、しかも彼らを長く使い続けてきたという点で特筆されるでしょう。
多彩な電車が活躍した点では大井川鉄道も同じですが、1970年代までは旧国電や社形が数多く在籍。中でも、地の利もあってか飯田線からはお役御免になった社形が多く嫁いできました。
▲琴電20形は近鉄OB 塩屋-房前 1989-2
▲ご存知ミスター琴電 高田 1989-2
▲こちらは弘南。旧身延と武蔵野の出会い 新石川 1986-8
「後世に残したい鉄道風景」を主眼とした本シリーズ、以下のカットはどれも電車が大写し過ぎて「鉄道風景」の範疇からは外れてしまいます。
しかし、今回は被写体の希少性(&もちろん管理人の好み)に乗じて強行アップをしたいと思います。
まずはこちら、大正時代の国鉄通勤車の代表格・モハ1が都落ちしたモハ300形301と302。両車とも「飯田線4社」の一角、三信鉄道を経てやって来ました。302はニセスチール化された以外は原型に近い風体でしたが、老朽化には勝てず1966年に名鉄3300系の車体に乗せ替えられます。
▲モハ302 新金谷 撮影年月不明
301は千頭駅構内に長らく保存された後にJR東海に里帰り、大井工場のナデ6141と共に、数少ない院電保存車となりました。
▲モハ301 新金谷 撮影年不明
同じ300形を名乗っていますが、出自を全く異にするモハ305・306。
各社に散ったお馴染みの富士身延モハ100形一派で、弘南や琴電にも仲間がいました。
▲上:モハ305 下:モハ306 いずれも新金谷 撮影年不明
一方のクハは、どれも500形を名乗っていながらこれまた出自はバラバラです。
まずはこちら、元身延クハユニ300形のクハ505。晩年は付随車化されて蒸機列車に組み込まれ、80年代まで活躍しました。
▲いずれもクハ505 金谷 撮影年月不明
超個性派のクハ501。
武蔵野の木造サハを1956年に自社で鋼体化して登場したデンシャですが、ルーツは国鉄釧路工場が明治23年に製造したホユニ5064です。
▲クハ501 新金谷 撮影年月不明
こちらも一見して社形の旧宮城・クハ502。
▲クハ502 新金谷 撮影年月不明
旧三信のクハ503・506。
改造でイメージは異なるものの、小湊鉄道で保管されているキハ5800は同系です。
▲クハ506 新金谷 撮影年月不明
戦時中に社線を次々に買収してきた国鉄。
しかし戦後も落ち着いてくると、制式車ではない社形は国鉄にとってお荷物となり始め、早くから事業用に改造されたり、地方私鉄に散ったりしていきました。
強権的に買収しておきながら冷たい話・・・となりそうですが、そのお蔭で地方で長く活躍できた訳ですから、余り悪くも言えません。
さて、大井川鉄道というと電車を片っ端から使い回してきた有難くないイメージがありますが、この頃はどうだったのでしょうか。
▲千頭森林鉄道の単端と思しき廃車体 新金谷 撮影年不明