2020年6月17日

眠れる名作の発掘 その8

▲大井川鉄道モハ302 金谷 撮影年不明

「電車博物館」と称された地方私鉄はいくつかありましたが、管理人世代だと断然「東の弘南、西の琴電」となるでしょうか。

特に琴電は開業時からの自社オリジナル車に加え、大手私鉄はもちろん中小路線からも数多くのデンシャが集まり、しかも彼らを長く使い続けてきたという点で特筆されるでしょう。

多彩な電車が活躍した点では大井川鉄道も同じですが、1970年代までは旧国電や社形が数多く在籍。中でも、地の利もあってか飯田線からはお役御免になった社形が多く嫁いできました。
▲琴電20形は近鉄OB 塩屋-房前 1989-2

▲ご存知ミスター琴電 高田 1989-2

▲こちらは弘南。旧身延と武蔵野の出会い 新石川 1986-8

「後世に残したい鉄道風景」を主眼とした本シリーズ、以下のカットはどれも電車が大写し過ぎて「鉄道風景」の範疇からは外れてしまいます。
しかし、今回は被写体の希少性(&もちろん管理人の好み)に乗じて強行アップをしたいと思います。

まずはこちら、大正時代の国鉄通勤車の代表格・モハ1が都落ちしたモハ300形301と302。両車とも「飯田線4社」の一角、三信鉄道を経てやって来ました。302はニセスチール化された以外は原型に近い風体でしたが、老朽化には勝てず1966年に名鉄3300系の車体に乗せ替えられます。
▲モハ302 新金谷 撮影年月不明

301は千頭駅構内に長らく保存された後にJR東海に里帰り、大井工場のナデ6141と共に、数少ない院電保存車となりました。
▲モハ301 新金谷 撮影年不明

同じ300形を名乗っていますが、出自を全く異にするモハ305・306。
各社に散ったお馴染みの富士身延モハ100形一派で、弘南や琴電にも仲間がいました。
▲上:モハ305 下:モハ306 いずれも新金谷 撮影年不明

一方のクハは、どれも500形を名乗っていながらこれまた出自はバラバラです。
まずはこちら、元身延クハユニ300形のクハ505。晩年は付随車化されて蒸機列車に組み込まれ、80年代まで活躍しました。
▲いずれもクハ505 金谷 撮影年月不明

超個性派のクハ501。
武蔵野の木造サハを1956年に自社で鋼体化して登場したデンシャですが、ルーツは国鉄釧路工場が明治23年に製造したホユニ5064です。




















▲クハ501 新金谷 撮影年月不明

こちらも一見して社形の旧宮城・クハ502。
▲クハ502 新金谷 撮影年月不明

旧三信のクハ503・506。
改造でイメージは異なるものの、小湊鉄道で保管されているキハ5800は同系です。
▲クハ506 新金谷 撮影年月不明

戦時中に社線を次々に買収してきた国鉄。
しかし戦後も落ち着いてくると、制式車ではない社形は国鉄にとってお荷物となり始め、早くから事業用に改造されたり、地方私鉄に散ったりしていきました。

強権的に買収しておきながら冷たい話・・・となりそうですが、そのお蔭で地方で長く活躍できた訳ですから、余り悪くも言えません。

さて、大井川鉄道というと電車を片っ端から使い回してきた有難くないイメージがありますが、この頃はどうだったのでしょうか。
▲千頭森林鉄道の単端と思しき廃車体 新金谷 撮影年不明

8 件のコメント:

  1. 最後の廃車体は千頭森林鉄道で
    寸又峡温泉の湯治客を運んでいた客車ですね。
    前歴は単端式気動車らしいです。
    新金谷でモハ301の手前に映っている転車台らしき施設も気になります。

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  2. 補足ありがとうございます。林鉄の客車でしたか(記事も修正しました)。
    車体裾を絞っているあたり、確かに井笠の「ホジ」に似ていますね。

    転車台は、当線は戦前まで非電化でしたからその名残かもしれないですね。確かC11のようなカマ(決して保存機ではなく)が貨物を牽いている画像を見た記憶があります。
    保存鉄道になる前の当線の記録、特に井川線(林鉄含め)の記録は本当に少ないです。

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  3. 全国森林鉄道(西裕之著・JTB刊)によりますと
    浜松電気鉄道で使用されていた単端式ガソリンカー3両を
    地元観光協会が購入。
    車体短縮など改造後に客車化し「すまた1号~3号」と命名して
    中部電力のDL牽引で運行したそうです。
    昭和28年~30年頃までの短い期間だったらしいです。

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  4. にぶろくさん

    情報ありがとうございます。
    DL(カトーや酒井でしょうか)が牽く単端客車はさぞかし魅力的な光景だったでしょうね。列車名が「すまた」とは奇縁を感じます。
    千頭森林鉄道の体系だった記録本はないだろうなあ・・・と思って調べたらありました、「賛歌 千頭森林鉄道(文芸社刊)」。買ってみたくなりました。

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  5. 何度もひつこく書き込んですみません。
    ナローとか林鉄の話題になると止まらない悪い癖ですね。。
    フェイスブックでこんな写真がありました。
    https://www.facebook.com/oldtimejapan/photos/a.525383797491986/583520118345020/?type=1&theater
    千頭森林鉄道の客車になった種車かどうかはわかりませんが。

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  6. にぶろくさん

    路面を単端が行く姿はたまらないですね。
    軽便鉄道法施行後は雨後のタケノコのごとく全国で見られた光景だったでしょうが、記録があまりないのが残念です。
    地元栃木でも鍋山軌道や赤味軽便鉄道がありました。前者は栃木市内をガソリン機関車が貨物や客レ(恐らく木造二軸でしょう)を牽いていたらしいですが、画像にお目にかかったことがありません。
    浜松電気鉄道も・・・と思いきや、地道に調査されている方がいましたね。

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  7. 富士身延の電車は昭和初期の地方私鉄とは思えない本格的な造りでしたが、窓が小さくて無骨な元武蔵野の電車と並ぶとなかなかモダンでスマートに見えます。弘南鉄道では三扉化されたものの、客用扉は最後まで全て木製でしたね。

    大井川モハ306は廃車後も新金谷の解体用の側線で草に埋もれながら長年放置。モハ301も保存と言いつつも廃車体のように千頭に留置してありましたが、無事JR東海に引き取られて良かったです。出自がばらばらの電車が編成を組んで走る光景は眺めるだけでも楽しいですが、小柄なクハ501や502と組むと元国鉄モハ1形もずいぶん大きく見えますね。

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  8. midorinonekoさん

    弘南では延べ4両の身延車がおり、早くに引退したモハ2250は2扉のままでしたね。
    この頃の塗装といい旧国電との組み合わせといい魅力満載で、4回訪問してもまだまだ撮り足りないくらいでした。

    大井川モハ306の最期は見られませんでしたが、昔から引退した電車を「風葬」するような扱いにしていたのでしょうか。そういえば80年代に千頭構内で放置されているデンシャ達を遠目に見た憶えがあります。

    モハ1は現役時代はもちろん経験していませんが、個人的に好きな車両でJRに里帰りした時は本当に嬉しかったです。木造車とは言え国鉄制式ですから、社型に比べるとやはり立派に見えますね。

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