2020年7月4日

借宿前の春霞 その2

▲鹿島鉄道キハ601 玉造町 1991-2

さて、キハ431から降り立ったのは巴川駅。
撮影ポイントに迷っているうちに鉾田近くまで来てしまいましたが、以前訪れた、絵に描いたような築堤が気になったからでもありました。

取り敢えず一つ手前の借宿前まで戻りますが、まず陣取ったのはこれまた見通しの良いこの切通し。長短レンズを付けた2台体制で折り返しの431を迎え撃ちます。
続いて600形も同じ位置で。
▲いずれも借宿前-巴川 1991-2

更に少し歩いてメインの築堤です。
草木のないこの時期はカーブの向こうに消えるまで全てが見渡せ、ちょっと「出来過ぎ感」さえあります。
駅前に1軒のよろず屋がある以外は何もなく至ってノンビリ、風もないこの日は雲雀の声が聞こえてきそうな暖かさでした。
▲いずれも借宿前-巴川 1991-2

ここで散々粘った後は玉造町へ。
数少ない有人駅の一つで、ここから隣の浜まで歩くことにします。
いきなりやって来たのは新色の432で、431に代わって午後から運用に入ってしまいました。取り敢えずシャッターは切りますが、何度見てもうーむな装いです。
浜駅の近く、霞ヶ浦を望む陸橋を昇ったり降りたり。
のんびりお手軽ポイントのこちらも、晩年は道路が拡幅されて大型車が飛ばすようになってしまいました。
朝夕だけの出動ながら、ツーマン車もやって来ました。
本日の当番は旧夕張のキハ715と三井芦別の711、サンスポ広告が目立たないよう前がちに狙います。
▲いずれも浜-玉造町 1991-2

さて早春の日暮れは早く、そろそろタイムアップです。
折り返しの石岡行キハ715に乗って引き揚げることにしました。
▲いずれも浜 1991-2

キハ430形はこの後2002年に金太郎塗りに変更され、図らずもこのKR塗装は長く続きませんでした。これがきっかけで一躍人気者になった430形コンビはマスコミへの露出度も急上昇、廃線の日まで主役を務めます。

末期には県立小川高校が中心となって「かしてつ応援団」を結成、沿線を挙げての存続活動が繰り広げられた鹿島鉄道線。これで当面は安泰か・・・と期待するも乗客減には抗し切れず、2007年春に終焉を迎えました。

1986年の訪問記 →→ こちら

▲借宿前 1991-2

2 件のコメント:

  1. 農村地域をひたすら走る鹿島鉄道。玉造町は周りに民家が多いわけではないけれど、中間駅では一番立派な駅でしたね。鉾田は町っぽい風景で汽車鉄道的な広めの構内でした。実際に行ってみたら昭和30~40年代の写真よりも霞ヶ浦の湖畔が線路から離れているようでしたが、大掛かりな護岸工事の際に水辺を後退させたのでしょうか。

    キハ600形は一見戦前製には見えない変身ぶり?で、夕張鉄道と三井芦別鉄道の車両は屋根が銀色に塗られているのがお洒落です。いかんせん収支は赤字続きながらも、年季の入った気動車をこまめに整備しながら使っている印象でしたね。

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  2. midorinonekoさん

    玉造町や常陸小川はコンクリート造の駅舎にタクシーも待つ広い駅前広場があり、立派ながらしかし鄙びたムードも併せ持つ一種独特の雰囲気でしたね。その中で一人勤務の委託駅長がポツンといる姿が未だに印象に残っています。

    霞ヶ浦湖畔の風景(桃浦-八木蒔)は昭和末期頃に埋め立てをし、かつての湖畔には道路ができてしまったようです。一度だけ湖畔を行くキハ430を撮ったことがありますが、通い始める前のことでそれきりになってしまいました。

    KR型の登場でこちらが主役になりましたが、その後も金太郎塗りに変身したキハ430コンビや道産子、ちょっと無粋になったキハ600ら在来車が廃線まで現役でした。最後まで面倒見ながら使い続けたという印象で好感が持てますね。

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