▲モハ12052 武蔵白石-大川 1990-8
初見参は1976年の夏休み、確か「鉄道ファン」の投稿欄で見掛けた直後と記憶していますが、東京圏早回りの際に忘れずに立ち寄りました。細長いこの専用ホームも現在は思い出です。
▲いずれも武蔵白石 1976-7
1980年に「浜川崎支線」からクモハ11らが撤退してからは注目度もアップ。
とは言っても1.0㎞に押し込まれた状態に加え、立入禁止地帯ばかりでは同じような画しかできず、飽きが来ようというものです。
しかし1985年、閑散時間帯用に本線に躍り出るや自由度が一気に急上昇。
17m時代はクモハ11+クハ16コンビでしたから、単行というのは戦前の鶴見臨港線以来でした。
▲大川 1990-5
新芝浦駅に進入するクモハ12052。
ここから海芝浦までは立ち入り禁止区間です。
▲新芝浦ー海芝浦 19905
新芝浦と隣の海芝浦駅ホームからの風景は、眼の前に運河が広がる鶴見線独特の雰囲気です。
▲いずれも新芝浦 1990-5
72・73系を引退に追いやった101系も、すっかり板に付いた様子。
クモハ12は2両の仲間のうち、製造時期の違いから052はリベットゴツゴツが目立ち、相方の053はこれが少なくスッキリした印象。052は現在も大井工場(現:東京総合車両センター)で保管されています。
▲浅野 1990-5
大川を発車する052。
日中はド逆光になるため、陽の長い時期の夕暮れが狙い目でした。
▲いずれも武蔵白石-大川 1990-8
▲いずれも武蔵白石-大川 1990-8
▲新芝浦 1990-5
1972年頃ですが、海芝浦で降りて線路沿いを新芝浦まで歩いています。その頃も公道ではなかったと思うけど、改札外には出られませんという表示はなかったですね。
返信削除鶴見から海芝浦までのルートは車窓の変化が割と目まぐるしいので、クモハ12単行列車に揺られていくとちょっとした小旅行でしたね。浅野駅の手狭な急曲線ホームも、クモハ12が被写体だと丁度収まりが良さそうです。いつの間にか客用窓に安全保護柵が追加設置されていましたが、この写真の頃はまだすっきりとしていますね。国鉄17m車正装のぶどう色は、光の加減で色の印象がずいぶん変わるのが面白かったです。
返信削除101系はカナリヤ色が最も写真映えするようですが、鶴見線にも低屋根の800番台が混じっていましたね。
モハメイドペーパーさん
返信削除新芝浦のホームから「あの道を歩けたらいいのに」と指を咥えて眺めていると、守衛さんらしき制服姿と眼が合った記憶があります。現在なら引き返すしかない海芝浦も堂々と出られるとは何とも羨ましいです。17m天下の時代は大らかだったのですね。
midorinonekoさん
返信削除当時はただ殺風景としか映らなかった鶴見線も、今考えると「引込み線の旅」のようでした。
この頃は「工場萌え」なんてなかったですから、もう少しこの辺を強調して撮ればよかったと思います。側窓に安全柵が付けられたのはこの後間もなくですが、やはりない方が断然良いですね。
貨物列車好きなのに、鶴見線はほんの数回しか訪問していません。東京に住んでいた大学時代、簡単に訪問できたはずなのに、小坂や飯田線など、もっと大変な場所に行っちゃうんですよね笑
返信削除で、相変わらずホキ22の方が気になってしまいました笑
ティーレマンファンさん
返信削除大川にいたホキは一体いつ動くんだろうと思うくらい、ずっと停まっていたような気がします。
私も鶴見線では貨物には余りお目にかかれませんでしたが、東海道貨物線狙いで近くの浜川崎付近によく出没しました。EF15や58が次々に来るのに、誰も同業者がいなかったとは信じられないです。