2020年8月8日

眠れる名作の発掘 その9

▲北陸鉄道モハ572 七ツ屋  1964-10

かつて総延長140㎞を超える路線を有していた北陸鉄道。
1960年代の各線には創業期からの強者に加え、他路線からの種々雑多なデンシャが集うばかりでなく、珍妙な改造を受け事業用になった者あり電気機関車に化けた者ありとまさに百花繚乱状態でした。

・・・という訳で今回は手許にある記録の中から、1964年秋に撮影された浅野川線をアップしてみます。
▲モハ3102・3501 北鉄金沢 1964-10

半世紀前の浅野川線は前身の浅野川電気鉄道時代からの2軸車に加え、他社転入組も加わって趣味的にも魅力満載でした。

こちらは旧浅電デハ1のモハ573です。
凄まじい風体ながら、北鉄金沢の先から分岐して国鉄線に通ずる連絡線を貨車を牽きながら往復していたようです。
こちらは更に強烈なモハ572。
今は1面1線の無人駅となった七ツ屋駅、当時の構内は広くささやかなネグラがありました。
▲いずれも七ツ屋 1964-10

伊那電や国鉄OBもやって来ます。
元伊那電・モハ3102は古めかしいダブルルーフながら、1927年製の半鋼製車。この後間もなく石川総線に転属していきます。
前面窓を強引に3枚に伸ばした感ありのクハ1651は、旧国鉄キサハ04です。

モハ3571は、遠州鉄道が戦後に新造したモハ13の車体に手持ち部品を組み合わせて誕生。
Hゴムだらけの顔もローカル私鉄らしくて悪くありません。

▲いずれも七ツ屋 1964-10

60年代も後半に入ると、石川総線系は名鉄大型車の大量投入によって一挙に整理が進みます。そしてこの名鉄車への画一化が、その後の車種統一への布石になりました。

その後も雑多なオリジナル車が残った浅野川線でしたが、北鉄金沢駅地下化に伴う車両不燃化対策に迫られる形で、こちらも一気に幕が引かれました。
▲いずれも七ツ屋 1964-10

6 件のコメント:

  1. 何ですか、これは?と言いたくなる電車たちw
    前回の東京五輪当時、こんな電車が走っていたのは衝撃です。
    さぞ来日した外国人は驚いた事でしょうね(見ていたら)
    私は3歳なのでほとんど記憶がありません。

    返信削除
  2. にぶろくさん

    64年の記憶は私も勿論ありませんが、この当時の時刻表(後ろの私鉄ページ)を眺めていると溜息しか出ないです。至る所に中小私鉄があって、ゲテモノが闊歩していたんですね。
    首都圏は五輪やらで高度成長に突き進む中、地方にはまだまだ「戦後」が生き残っていたような気がします。

    返信削除
  3. 福井鉄道も出所不明なスタイルの電車が多かったですが、北陸鉄道はそれ以上?ですね。木造国電風だけど鋼製車の伊那電の電車が、一番まともに見えてきます。遠州鉄道から来たモハ3571は造りが粗雑そう?ですが、経年を考えると掘り出し物だったようにも。Hゴム改造車も、こうやって見ると愛嬌がありますね。

    この頃の浅野川線はパンタグラフとビューゲルとポールが共存していたのも不思議ですが、軌道と郊外電車のあいのこ的な鉄道は独特な面白さがありますね。

    返信削除
  4. midorinonekoさん

    この頃の北陸各社はどこも垂涎の世界でしたね。
    各社ともほぼ全線が健在でしたし、創業期からの強者が珍奇な改造を受けて闊歩する姿もあちこちで見られました。中でもやはり北鉄のゲテモノぶりは群を抜いていた気がします。

    伊那電の3100形は本当に好きな電車で、北鉄カラーも似合っていたでしょうね。模型が出たら即座に買ってしまいそうです(笑)。モハ3571は戦後製ながら古めかしいスタイルに見えますが、遠州時代より田舎っぽく改造されたせいかも知れないですね。

    返信削除
  5. 偶然でしょうか
    今、風間さんのブログでも七ツ屋がアップされてます。

    返信削除
  6. にぶろくさん

    この記事を書いたきっかけは、風間さんが撮影された七ツ屋駅舎のカットでした。
    小さいし、とにかく見たことないような奇妙さながら、隅々まで凝った造りで昔の鉄道人の誇りのようなものを感じました。1980年代まで残っていたようで、訪問しなかったのを未だに悔やんでいます。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。