▲名古屋鉄道モ524 徹明町 1965-10
以前名鉄美濃町線・白金あたりの風景をアップしましたが(→ その1 / その2)、図らずも1965年当時の記録を入手、そこで今昔風に比べてみました。
新関方面ホームの背後にある屋敷は改築されているものの、変わらずに建っています。
▲いずれも白金 上:1965-10 下:2000-7
隣の商店と思しき建物が気になりますが、待合所とくっついているようにも見えます。
▲いずれも白金 上:1965-10 中・下:2000-7
元美濃電モ520形はさすがに鋼体化されているものの、まだトラス棒が残っています。
▲徹明町 1965-10
▲いずれも下芥見 1965-10
砂埃を撒き散らしながら、510・520形がここを疾駆ならぬ鈍足で闊歩する姿は見ものだったでしょうね。
▲いずれも上芥見-白金 2000-7
物持ちの良い名鉄のことですから尚更ですが、1960年代半ばにも拘らずまだまだ我が物顔で闊歩していました。商店街も活況のようで、街全体が元気に見えました。
▲いずれも徹明町 1965-10
▲梅林 1965-10
同じ頃、私も市内線の単車は新岐阜駅前で撮っていますが、美濃町線はノーマークでした。ちょっと足を延ばせば、谷汲線に転属する前の510・520形が撮れたのですね。
返信削除600形は方向幕があったのになぜかサボ表示、その方が写真映えはするので有り難い話ですね。細長い正面と転換クロスシートの車内も、今思うとアンバランスな面白さがあったようにも。美濃町線は時間は掛かったが、慌ただしい市内線、田園風景の郊外線に路肩軌道、終点美濃は静かな山あいの町とちょっとした小旅行でしたね。
返信削除1965年時点で単車がこれだけ走っていたのはすごいです。510・520形も年季は入ってきているがこのラインナップだと、まだまだ花形車両ですね(笑)。
モハメイドペーパーさん
返信削除砂埃を巻き上げながら、上芥見や下有知辺りの路肩軌道を走る姿は壮観だったでしょうね。
揖斐・谷汲線の直通急行に抜擢されたのは1967年ですからそれまではこの姿が見られた訳ですが、大手とは思えない物持ちの良さです(笑)。
midorinonekoさん
返信削除美濃町線の車窓風景の豹変ぶりは本当に楽しかったです。
揖斐・谷汲線偏重だったせいで初訪問はずいぶんと遅れてしまいましたが、初めて乗った時はまさに眼からウロコでした。モ600が方向幕を使用しているところは私も見たことがありませんが、70年のデビュー当時は使っていたのでしょうか。
市内線の木造単車はさすが名鉄(笑)ですが、パノラマカーが疾駆する一方でここまで古いデンシャが堂々と闊歩するのは愉快でしたね。