▲越後交通ED211 西長岡 1967-5
越後交通長岡線はナローの栃尾線に比べて地味な存在で、こちらは訪問せぬまま終わったという方も多いのではないでしょうか。
かく言う管理人も、中1夏休みの日帰り&貧乏旅行ではルートから外してしまう体たらくで、翌年の全廃まで乗ることも撮ることも叶いませんでした。国鉄長岡駅から行きにくい立地にあり、栃尾線とのセット訪問が難しかった事情があるかも知れません。
しかし、長岡線の歴代デンシャたちはバラエティに豊み、電車も電機も個性豊かな猛者が闊歩していました。
▲ぎりぎり間に合った栃尾線現役時代 いずれも長岡 1974-8
・・・という訳で、本日は手元にある記録から、同線の変り種をお送りしてみます。
どこから見ても電動貨車のED211、前歴は1919年製・京王電気軌道の「20」。
その後改番、改造を経て1948年に越後交通(当時は長岡鉄道)へ嫁いできました。こちらでも当初は「デワ102」となるも間もなく電機を名乗り、69年の1500V昇圧時に引退という波乱の生涯を送りました。
▲西長岡 1967-5
個性派揃いの電車もさることながら、当線のもう一つの魅力は混合列車。
非力な電機が貨車+木造2軸客車を牽く模型のような編成が見られました。
▲いずれも西長岡 1967-5
「長岡線の電車」で思い浮かぶのはガソリンカー改造のキワモノ・モハ2000形ですが、管理人的に外せないのは富士身延OBのモハ5000形。
飯田線で余生を送っていたモハ1206を東急車輛で両運に改造、1960年にお輿入れして来ました。車内はクロスシートのままである上に、片運を両運に戻して更に原型に近くなった身延車は他にいないのではないでしょうか。
長岡へ旅立つ頃の記録が手元にありましたので、お目にかけましょう。
▲いずれも碑文谷(?) 1960-7