▲三井石炭鉱業9号ほか 1992-12
この当時、本線(三池港-三池浜9.3㎞)は線路だけ残し、定期貨物は既になくなっていました。しかし残された発電所線(三池港-四ツ山-三池火力発電所)では本数こそ少ないものの45トン機が入れ代わり立ち代わり、合間に20トン機の入換や職員輸送もやって来たりと、活況に見えました。
メイン車庫越しに4両が見え、構内員氏に頼んで近寄ってみます。
ジーメンスの残り1両、2号は見事に整備されていました。
こちらは入換と職員輸送のメインとしてほぼ毎日稼働中とのこと。
▲いずれも三池港 1992-12
この日発電所までの石炭列車のメインは20号。元南海ED5154ながら戦後のドサクサの中、南海籍は書類上だけで直接三池へやって来ました。
3両の仲間は、同系ながら微妙に異なるスタイルです。
21号は1949年製の自社発注車で、直線的なボンネットや台車など、戦時標準型ながら随分と近代的な印象です。
▲いずれも三池港 1992-12
斜光線が限りなく水平に近付いて、この日はこれでタイムアップ。
5号を遠目にスナップして、この日は撤収することにしました。
▲ 安宿からは熊本市電が望めました 上:三池港 下:辛島町付近 1992-12
さて、翌日も朝から発電所へ向かう石炭列車を狙うことにします。
先ずは事務所へ挨拶を済ませてヤード近くの踏切脇で構えることにしますが、しばらくすると鉄道課長さんがすっ飛んできて「今、柵から身を乗り出して撮ってましたね!」と一撃。
薄氷を踏む思いで撮っていたこちらには毛頭そんなつもりはありませんが、20号の運転席から無線で連絡が行ったのでしょう。やはり聞きしにまさるガードの固さです。
上のコマを撮り終わると、今度は望遠を付けて高速シャッターを切りたくなりモノクロフィルムに切換えです。1号は今日も入換えに奮闘し、ジーメンスコピーの5号が職員輸送に行ったり来たりしていました。
▲いずれも三池港 1992-12
行き交う東芝電機の石炭列車、合間を縫ってちょこまかと走り回るBロコ。
この踏切近くにいるだけで楽しく、線路際を歩きながら撮り回る予定を返上、結局ここで夕方まで粘ることにしました。
▲いずれも三池港 1992-12
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