▲弘南鉄道モハ1120+クハ2251 大鰐-宿川原 1982-3
さて、ここで漸く腰を落ち着けて車庫を一覗きすることにします。
いつもながら狭い構内にギッチリと押し込められていました。
こちらは本日出番なしの伊那電・クハ1271。小さいスノープラウも似合っていますね。
クハ1610も国鉄モハ30の一派です。
朝の務めを終えて昼寝中の快速編成。
屋根が深いクハ1266は川造タイプの全鋼製車です。
もう1両の伊那電・クハ1272と組んでいたのは東急出身のモハ3404。
東急時代の車番をそのまま使っています。
伊那や身延、武蔵野らを見慣れてしまうと、やたら大人しい印象の旧国鉄のクハ1611。他の国電組と共に弘南線からやって来ました。
身延3兄弟のうち、もう1両のモハ2253は本日はお休みです。
▲いずれも津軽大沢 1982-3
▲いずれも新石川-津軽大沢 1982-3
社形は充分堪能したし、残り時間は弘南線を覗くか・・・と同行メンバーと協議して転戦したのかも知れません。
▲前田屋敷-黒石 1982-3
黒石の少し手前、田舎館辺りに陣取って夕暮れまでの僅かな時間を過ごすことにしました。
▲いずれも田舎館-境松 1982-3
三角屋根が特徴的な古い駅舎が残っていました。
境松は延伸開業時の1950年に開業、当初は有人駅(業務委託)でしたが僅か2年で無人化されています。
▲境松 1982-3
▲田舎館-境松 1982-3
▲津軽鉄道オハ31車内 1982-3
私が弘南、津軽を訪問したのは1980年
返信削除北海道初上陸は1981年なので
ほぼ同時期ですねw
だいたい同じものを見ていると思います。
にぶろくさん
返信削除初上陸の北海道ではワイド周遊券を存分に活用し、一次廃止線を片っ端から乗り回しました。
本線も旧客オンパレードで、今考えると贅沢な旅でした。尤もこの頃は車両中心で、キハ22や客車を1両ずつ7:3という実にツマラン撮り方をしてしまいました(笑)。もっと駅や乗降風景なども押さえるべきだったと後悔です。
伊那電の鋼製車は木造車を踏襲したスタイルでしたが、電動車とトレーラーで印象が違うのが面白いです。赤とクリーム色に塗り分けられた細面のクハ1271と1272が、りんご畑のそばを走る姿は品がありましたね。
返信削除国鉄の戦前型電車は戦後の更新修繕で埋め込み式の尾灯に改造されましたが、クハ1610はなぜか以前の取付式の尾灯で、弘南鉄道に来てから再改造されたのかも。元西武のクハ1266と1267は深い屋根が印象的でしたが、同型車が津軽鉄道に残存。昭和初期の鋼製車は頑丈です。
東急3600系半鋼製グループは、座席の木製袖仕切りなど車内が昭和20年代の郊外電車様式のままで、全金改造グループとはまるで別形式のようでした。
津軽鉄道のオハ31は朝しか走っていなかったので、乗車体験は貴重ですね。代わりに五能線のオハ60客車列車に乗車しましたが、戦後の量産鋼体化客車だし車内は簡素で傷だらけだしと、その時はあまり有難味を感じなかったです(笑)。
緑の猫さん
返信削除当時の大鰐線は博物館の名に相応しく本当にバラエティ豊かでしたが、弘南カラーがどれも似合っていて感心したのを憶えています。カラーリングといい、塗分けの境界線(これが60年代のようにもっと上だったら、印象はだいぶ変わります)といい絶妙でしたね。後年のキハ22にもピッタリでした。どのデンシャも昭和初期製ながらくたびれた印象は全くなく、これらが弘南詣でに拍車をかける大きな要因になりました。
クハ1610の尾灯はご指摘で気付きました。相方のモハ1120が埋め込み式なのでこちらで改造されたのかもですね。
津軽のオハ31は1往復だけの運用でしたがどうしても乗りたくて、行きは乗車し復路を金木の築堤で待ち受けました。この当時既に木製の背ずりは希少で、五能線の60系客車も感激したのを憶えています(笑)。