大学の鉄研在籍時代は春の新入生歓迎会を始め、夏合宿、卒業生追い出し合宿・・・と何かにつけタイトルを付しては集団行動を取るのが常でした。
当然、その道中はメンバーらと集合離散を繰り返しながら撮り回った訳ですが、それらは決して美しくはないものの忘れ難い思い出になっています。
今回はそんな中から1982年初夏、上級生になって些か余裕も出てきた頃の銚子電鉄の記録からお送りします。
当線は半端に遠い立地にあったせいか訪問回数は極端に少なく、1975年秋の初訪問以来。
既にハフや鋼体化車・デハ201の姿はなく、近江からお輿入りしたデハ700形が主役になっていました。
生憎と土砂降りの中、お決まりの仲ノ町車庫から撮影開始です。
先ずは何といってもこちら、AEGのデキ3。
先ずは何といってもこちら、AEGのデキ3。
1978年に混合列車がなくなってからは黒一色に戻りましたが、管理人的には電車と同色のツートンが断然ごヒイキです。貨物営業は形だけ残っているものの出番はなく、側線で昼寝を決め込む日々でした。
▲いずれも仲ノ町 1982-5
▲いずれも仲ノ町 1975-10
今回の主目的は元鶴見臨港のデハ301。
国鉄を始め、上毛・山形・上田・静鉄など各線に散った100形の一派です。
デハ101は軽便用の雨宮台車を1067㎜に改造、これに木造新製車体を載せて1939年に誕生した当線初のボギー車です。戦後車体を載せ替えて現在の姿になりますが、11m級と当線最小とあって早くから予備車になりました。
1972年に上田交通からやって来たデハ501。
丸子線用に戦後導入された12m級の小型車で、戦前製のような精悍さはありませんが均整の取れた好ましいスタイルです。
元近江のデハ700形。
同車登場を機に、小型車オンリーだった銚電も変貌していきます。
ハフを放逐した張本人ですから、シャッターを押す手もリキが入りません。
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