▲銚子電鉄デハ501+デハ301 仲ノ町 1982-5
1970年代までの銚子電鉄は出自も経歴も違う小型車が闊歩し、一方でデハ3連やデキ+ハフ+デハの珍編成が定期的に動いていました。
しかしネットもない時代、頼みの鉄道誌も地方私鉄の情報は極めて貧弱で、数か月遅れの情報に臍を噛むことの繰り返しでした。
その後も「行かなければ」と逡巡しているうちに、1990年暮れに「赤黒塗装+ゴリラマーク」装束へ衝撃的な変身、これが一層遠ざける原因になってしまいます。
▲仲ノ町 1975-10
これは同社の経営危機と買収、そして買収元がバブルに踊らされた挙句に破産、その後の起死回生策・・・といった運命の翻弄とも言うべき経緯と切り離すことができません。赤黒装束はこうした中で誕生した落とし子でした。
さて、相変わらずの五月雨の中、めげずに鉄研一行は沿線を歩いて回ります。
先ずは観音で下車、本銚子方へ。この日はデハ301が終日動いていました。
先ずは観音で下車、本銚子方へ。この日はデハ301が終日動いていました。
もう1両の当番はデハ701。ハフやデハ201を追いやった仇ながら、考えると彼も1941年製(種車は28年製)、充分に古豪ではありますね。
そうこうしているうち、普段の行いが功を奏したのか雨が上がってきました。
このドンヨリ空ではモチベーション低空飛行ですが、デハ301が動いているうちは引き下がる訳にはいきません。
・・・しつこく次回に続きます。
▲いずれも犬吠-君ヶ浜 1982-5
昭和の銚子電鉄の走行写真とくると、デハ201とデハ301が最もしっくりきますが、デハ501が走る姿も悪くないですね。全長12mの小型サイズだと、乗客が多い時は使いにくそうですが(笑)。上田交通の廃止余剰車なら、真田傍陽線の中型車両もありましたが、微妙なタイミングの差や導入費用の問題だったんでしょうか。パンタグラフとビューゲルの共存も面白いですね。
返信削除元鶴見臨港のデハ301は元々工業地帯の電車でしたが、ひなびたローカルムードが似合いますね。銚子電鉄は関東の私鉄で最も訪問が大変な鉄道だったので、結局車庫で休む姿しか見たことがなかったです。思った以上に調子は遠かったが、次に行くなら泊りがけで沿線をゆっくり散歩してみたいですね。
緑の猫さん
返信削除個人的には京成が手持ち部品を使って適当に(笑)造ってしまった木造車、デハ201が地方私鉄らしくて最も好きな電車です。全国に仲間がいたデハ301と違い、唯一無二の存在だったせいかも知れません。広田尚敬さんの名作「カラー日本の私鉄」の表紙で初めて知り、中学時代に対面を果たしましたがほんの「チョイ見」だけで踵を返してしまったのは今でも悔いが残ります。
デハ501は均整の取れた好ましいデンシャでしたね。
導入時の試験塗装から銚電標準カラーになって一層美人になった気がします。真田傍陽線にも候補生がいた筈ですが、敢えてこのミニ電車に白羽の矢が立ったのは、やはり戦後製ですしあとは出力かと思います。他の中型車ではパワーがありすぎて当線では持て余したかも知れないですね。
しかし銚子という場所、東京圏からは本当に行きにくい立地にあり、半端に遠い所は上毛や上信と共通するものがありますね。