▲名古屋鉄道モ758 更地 1998-4
遠隔地での「桜と電車と」はいつも難題です。
気象庁の開花情報をタイムリーに睨むも、個体差や地域差が大きいこの花には肘鉄を食らうばかりで、「開花率0%」「スッキリ葉桜」ということもしばしばでした。桜狙いで何度か出向いた揖斐・谷汲線ですが、満開のタイミングに合ったのは唯一、1998年のことでした。
日の出と共に向かったのはこちら、ホーム脇の一本桜が目印の更地。
やって来た始発電車のモ758は、車体のリベットが厳つく残っています。
駅の反対側から。
1948年と早い時期に無人化された更地ですが、交換設備や駅舎の跡地と思しき空地はそのまま残っています。現在は片面ホーム1本、辺りには民家が点在するだけながら黒野方面への客が結構乗ってきました。
隣の北野畑。
乗降客10人前後と名鉄では最も少ない駅で、近くにセメント工場がある以外、人の気配がありません。この頃は朝の列車交換がありそのための要員も配置されていましたが、この後間もなく谷汲山命日を除き交換は廃止に、駅も完全無人化されます。
続いて赤石から長瀬あたりへ転戦です。
長瀬の手前、管瀬川を渡る小さな鉄橋もすっかり馴染みの場所になりました。
こちらは谷汲付近のアップダウン区間。
モ751は758と比べるとリベットが少なく、ノッペリ感は否めません。
谷汲駅構内にも大きな老木があります。
何世代のデンシャを見続けてきたのでしょうか。
▲いずれも谷汲 1998-4
この日は揖斐線にも転戦。
揖斐線は田圃と住宅地の混在する中を一直線に走ってオシマイですが、唯一の中間駅・清水には桜の巨木が立っていました。本日の当番はモ759です。
普段3セクには食指が動かない管理人、しかしこの日は満開に浮かれて名所へも足を伸ばしました。
▲谷汲口 1998-4
山影が迫ってきた頃、最後は谷汲線へ戻り根尾川沿いの区間へ。
この時期としては珍しく晴天が続きました。
モ750形はこの後ひと月を経ずして3両の仲間が引退し、この日元気な姿を見せていたモ758・759も運命を共にしました。谷汲線と揖斐線黒野以遠用に最後まで残された751・754・755の3両は、2001年の廃止の日まで慎ましくこの地を守っていきます。
樽見鉄道の花見臨(だと思う)、これも貴重な記録ですよ。
返信削除しかもDE10の1号機やおまへんか(笑)
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除谷汲線に飽き始めた同行者の誘いにまんまと乗った完全なオマケ的なカットでしたが、臨時だったのですね。そういえば、機関車のマークは「うすずみ号」だったかと思います。以前は国鉄お下がりの旧客レも走っていましたね。こちらの記録はゼロで、谷汲線偏重をちょっと後悔しています。
にぶろくさん
返信削除え、レアな機関車なんですか・・・全く意識していませんでした。
どうも三セクは「派手派手なレールバス」というイメージがあって敬遠していましたが、食わず嫌いはいけませんね。こちらの元祖レールバスも撮っておけば良かったです。
機関車はJRのDE10ではなく、樽見鉄道のTDE10形です。この当時、TDE10形が3両、TDE11形が1両在籍していました。元形式は国鉄のDE10形とDE11形です。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除てっきり国鉄DE10のお古かと思っていましたが、新造だったのですね。
DLへの無知蒙昧ぶりは抜きん出ていて(笑)、新造・譲受含め延べ5両がいたことも、全廃されていたことも知りませんでした。導入当初は国鉄と全く同じ塗装だったそうで、朝の旧客レ運行時代に記録しておけば良かったです。