2021年1月16日

浜大津から東山三条へ

 ▲京阪電鉄614 浜大津-三井寺 1992-9

1992年夏の一日、浜大津で珍客を捉えた後は(→ こちら)、彼を追って錦織車庫へ行ってみることにしました。勿論走行ルートなど知る由もなく、あわよくば入庫後の姿を拝もうという皮算用、しかし車庫を覗いてみると丁度良い按配に昼寝中でした。どうやら任務は終わったようです。

改めて間近で観察。
122は1934年に有蓋車2002として竣工、その後戦後の復旧・改造を経て大津線にやってきた当線の再古参です。

▲いずれも錦織車庫 1992-9

京阪も含め、かつて関西各社は珍妙な事業用車の宝庫でした。
「私鉄電車のアルバム」で初めて彼らの存在を知り、あまりのキワモノ振りに涎を垂らしながらページを繰った記憶がありますが、大半は70年代後半までに淘汰されてしまいました。122は戦前派の最後の生き残りです。

▲もちろん阪急にも棲息 上:十三 下:正雀 いずれも1960頃

さてあっさりと目的を果たしてしまいましたが、今度は庫内に屯ろする260形らも見て回ります。

260形はタマゴ形木造車200形の車体を載せ替えて誕生、機器類は徐々に更新されるも古めかしいブリル・ボールドウィン台車はそのままでした。石山坂本線専用の350形もまた木造車800形からの転身でした。


▲いずれも錦織車庫 1992-9

続いては10年振りの東山三条へ向かいます。
▲近江神宮前 1992-9

京津線の主力は600形や700形に交代してしまい、260形が第一線で活躍していた81年当時とはすっかり様変わりしていました。

辺りは地下化に向け動き出しているせいかそこいら中工事現場だらけで、木造家屋が雑然と並んでいた街並も心なしか小綺麗になったように見えます。



▲いずれも京津三条-東山三条 1981-3

80形は冷房化されて健在。
屋根上がやたら膨らんで見え違和感は拭えませんが、それでもなお魅力的なデンシャです。

▲上:京津三条-東山三条 下:東山三条 いずれも1992-9

棒のように細い安全地帯に変わらぬ乗降風景。
街は小綺麗になっても、往年のインタアーバンの匂いはまだ残っていました。


▲いずれも東山三条 1992-9

5 件のコメント:

  1. 学生時代に住んでいたので
    リタイア後の移住先に京都も考えているのですが
    (路面電車も残っています)
    夏は暑くて冬は寒い…還暦過ぎには辛いかも(笑)。

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  2. 匿名でアップしてしまいました。
    失礼しました。

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  3. 東海道線の車内から眺めると何だか気になる存在だった京津線。実際に乗車したのは1991年だったので、丁度この写真の風景でしたね。三条から坂本まで行き、ケーブルカーとロープウェイで比叡山見物、最後は叡山電車の一回り回遊ルートは、移動距離の割に変化があって面白かったです。

    道路と専用路線を交互に走る京津線は、京都と大津の市街地と郊外を自由自在に走る電車といった様子でしたが、皆で電車待ちをする子供や学生の光景は日常の生活感が感じられますね。

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  4. 緑の猫さん

    路面電車はやはり生活と密着している所が良いですね。地下化なった現在の乗降風景では最早感じられない空気かと思います。京津線は他にも見所がありましたが、土地勘がなかったのでお決まりの東山三条と蹴上、そして浜大津の駅近で安直に済ませてしまい、後悔が残るところです。

    思い残しと言えば、石山坂本線に行かなかったことでしょうか。専用の350形がいたので在来車率が京津線より高かった筈ですが、当時はこちらには関心が向きませんでした。

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  5. にぶろくさん

    ちんちん電車ばかり考えていましたが、確かにこちらも路面電車ですね。
    京都は銘菓・漬物・うどんも魅力ですが(食べ物ばかり)暑さにめげそうで私も難しいです。
    大津付近は如何でしょうか。気候は同様ながら程好い都会感が良さそうな感じがします。

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