2021年2月7日

鶴臨とAEG その3


▲銚子電鉄デハ301 観音-本銚子 1982-5

さて相変わらずの空模様の下、引き続き沿線を回ります。
次は犬吠に近い、これも定番地点へ。晴れていれば海+灯台の絵ハガキ構図が収まるハズですが、この空模様ではそれも叶わず、うーむ且つ眠たそうな画しか撮れません。



▲いずれも犬吠-君ヶ浜 1982-5

薄暗くなってきた頃、最後に仲ノ町車庫をもう一度覗いているとデハ501+301の2連が突然現れました。夕方のラッシュに併せて501を併結したようです。

沿線で追い掛けたいところですが、タイムアップが迫る中、仕方なく駅付近で折り返しを待ちます。デハ501の動いている姿を見たのはこれが最初で最後になりました。


▲いずれも仲ノ町-観音 1982-5

最後はこれにお名残り乗車。銚子で見送り、打ち止めとしました。
▲銚子 1982-5

その後は何度も予定だけは立てるも、この中途半端な遠さが仇となります。
グズグズしているうちに、「赤黒塗装+ゴリラマーク」の衝撃的なお出ましになってしまいました。

鉄道ジャーナル誌でこれを初めて見た時のショックといったら、ちょうど野上電鉄のチョコボール電車(モハ24)登場の時と同じくらいでしょうか。「伊予鉄からデハ800形がやって来てつまらくなった」などと贅沢を言っている場合ではありませんでした。
▲カラーで撮る気が起きません 日方 1990-11

こちらはそのショックからも立ち直り、切符目当ての三度目の訪問時。
既にデハ301はもちろん伊予鉄車も引退し、京王や営団OBらが占めていました。懐かしい本銚子の切り通しに立ってみましたが、やはり繁茂した木々のせいで見通しが利きません。
▲本銚子-笠上黒生 2013-6

▲いずれも外川 2013-6

「まずい棒」「修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」「電車を止めるな!」・・・と最近は印象的なフレーズが次々に登場。

瀕死の状況と矢継ぎ早に繰り出される企画、起死回生を図るもまた頓挫・・・の律動はそれ自体が映画になりそうな展開ですが、考えてみるとこの数十年ずっと経営危機にありながら踏ん張っている。ある意味小説よりも奇な路線ということができるでしょう。

ハフがいた時代 → こちら

▲犬吠-君ヶ浜 1982-5

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2021年2月7日 16:55

     301は直接制御、501は間接制御だし、ブレーキも空気管が通らないから、各車に運転士が乗っていたはずです。501が4個モーターだから、301はトレーラー扱いだったかも知れませんね。

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  2. モハメイドペーパーさん

    残念ながら撮るのに夢中で(笑)確認し忘れましたが、701が他形式と混結する際には両方に運転士が乗っていたらしく、この時も301に乗務していたかもですね。
    個人的には最も好きな車だった501ですが、戦後製(種車は古いですが)で力持ちながら、電気の無駄使い+この小ささが仇となり活躍の機会が余りなかったのは残念です。72年の転入当初は201と301が主役(朝夕はハフか101を併結)だったでしょうし、以降は701に取って代わられたでしょうから、最後まで継子扱いだったのかも知れないですね~

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