2021年3月21日

「510」の走った日 その3

▲名古屋鉄道モ593 美濃 1998-4

谷汲線で桜を満喫(→ こちらした翌日は美濃町線へ。
どこから情報を仕入れたのか、モ510形の団体貸切列車が美濃町線・美濃まで入る由、これは見逃す手はないと即断です。

510形は市内線・揖斐線の顔という印象がありますが、これは1967年の直通運転用に彼らに白羽の矢が立ってからのことで、デビュー時から大半を過ごした美濃町線の方が縄張りでした。

さて、先ずは市内線を一往復。
毎度お馴染み、車に被られる心配のない千手堂交差点で陣取っていると、黒野からの出庫列車がやって来ました。


すぐに折り返してくる団体列車も同じ場所で。
見たことのない行先票を付けています。


▲いずれも千手堂 1998-4

本命はどうしたものかと上芥見の「路肩軌道」を目指すも、予想どおり脚立&三脚の林立で
立錐の余地もありません。やはり揖斐線のようにノンビリ構える訳にはいかず、無難な津保川橋梁で妥協です。こちらは誰もおらず至ってノンビリ、しかし揖斐線・尻毛橋と似たような芸のない構図になってしまいました。

▲上芥見-白金 1998-4



▲本当はこういう構図をイメージしたのですが 上芥見-白金 2000-7

あまり趣味ではありませんが、ダメ元で「追っ掛け」をしてみると下有知で追い付きました。しかしこちらも砂利道時代からのポイントですから既に満杯、居並ぶ同業者の足の間に座り込ませて貰い、無理やりシャッターを切りました。
▲これが精一杯、しかもピンボケ 下有知 1998-4

振り返ってこれも強引に撮影。
▲下有知-神光寺 1998-4

最後は終点・美濃駅です。
ホームでは主催者が用意したのでしょう、貸切列車の参加者が並んで食事中。
ごった返していた上芥見や下有知の喧騒がウソのように静かで、思い思いにレンズを向けています。


▲いずれも美濃 1998-4

さて、発車を見届けてから帰るつもりでしたが、いくら待ってもその気配がありません。食事を済ませた参加者らは、何やら急拵えの出店を覗き込むなどして急ぐ様子もありませんでした。

あまり510形に思い入れのない同行の友人を待たせるのも気が引け、消化不良ながらこのまま引き揚げることにしました。


▲いずれも美濃 1998-4

エバーグリーン賞を機に走る機会も増えただろう、その時こそ上芥見でリベンジ・・・と軽く考えながら帰途に就きましたが、谷汲山命日に出動することはあってもこちらへ出張して来ることはなく、結局一期一会になりました。
その後も美濃を訪れる機会のないまま、新関-美濃間はこの翌年に廃止の日を迎えました。

▲上芥見-白金 1998-4

2 件のコメント:

  1. アングルの妙で当日の喧騒は全く感じられないのですが、
    上芥見や下有知にはそんなに同業者がたくさんおられたのですか。
    SL末期みたいな雰囲気だったんですね。

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  2. にぶろくさん

    いや、本当に壮絶でした。
    自分の経験ですと75.3ダイヤ改正(新幹線博多開業)前夜と同じくらいかも知れません。
    普段は市内線や揖斐線でノンビリ撮っていましたので、完全に舐めてかかっていました(笑)。
    510はこんなに人気者だったのかと今更ながら気付いた訳ですが、なんで無理してでも路面区間(上芥見がダメでも替わりはいくらでもあった筈)に行かなかったのかと後悔しています。

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