2021年4月4日

小坂線の夏休み

▲小坂精錬小坂鉄道キハ2107 新沢-深沢 1994-8

1962年の改軌以来、DCもDLも新調されたメンバーだけになり、一気に地味な路線となった小坂線。三重連貨物を除けばこれといった目玉もなく、それとて国鉄形のDDにあとは片上線と同形のキハという陣容で、何とも物足りません。

小坂の鉱石を最短で運ぶための路線ですから途中の都邑を結ぶ目論見はなく、無人の山野を進むだけの沿線風景で、現地で人に会うことも殆どありませんでした。しかしヘソ曲がりの管理人はこの人跡稀な風景に惹かれ、何度か訪問する機会がありました。

▲茂内 1994-8

旅客営業最期の日まであと1ヶ月と迫った1994年夏のこと、前回の訪問で山深い雰囲気に惹かれた、新沢駅からスタートすることにしました。

辺りには数軒の民家があるくらいで何もありませんが、それでも大館行の時刻が近付くとチラホラと乗客が集まってきました。


▲新沢 1994-8

振り返ったカット。
本数は少なく2時間に1本程度ですから、僅かな列車には勢い力が入ります。


▲雪沢温泉-新沢 1994-8

こちらは唯一の交換駅・茂内。
貨物が減ったとはいえ、常時駅員のいる中間駅でタブレットの受け渡しもしています。

この日は三重連を期待してのことでしたが、夏休みで貨物がウヤであることに全く気付かない体たらく。勇躍下車すると、向かいホームにはタキ+コキの超ミニ編成がいるだけでした。


せめて何か成果物を残そうと、手持無沙汰そうにしている駅員さんに頼んであれこれ切符を所望してみました。

駅員さんもやはり退屈だったのか事務室に入れてくれ、麦茶をご馳走になったりタブレットを撮らせてもらったりして、しばし休憩です。

▲いずれも茂内 1994-8

続いては絶滅危惧種になっていた腕木信号機との組み合わせを狙います。
真夏の炎天下、やって来たのはDD13単機。貨物があれば三重連になるハズでした。

▲茂内-篭谷 1994-8

続いてやって来るキハを駅の反対側で。
▲深沢-茂内 1994-8

こちらは雪沢温泉駅近くです。
雪沢温泉は駅前に鉱泉と数軒の民家がある以外、田圃と山々しかありません。

生活の匂いはなく殺風景と言えばそれまでですが、この日本離れした風景が退屈な車両を補って余りある役割を果たしています。軽便時代はこの近くの小雪沢で機関車の交換をしており、ホーム跡も残っていると聞いてきましたが見つかりませんでした。


▲いずれも雪沢温泉-新沢 1994-8

最後にこの駅を一覗きする頃には薄暗くなっていました。
この駅舎は現在も残っています。


このキハに乗って帰途に就くことにしました。
▲いずれも小坂 1994-8

旅客列車の終焉まであと1ヶ月と迫る中、少しは「葬式鉄」がいるだろうとの予想は外れ、この日も一人の同業者にも会いませんでした。

翌月、役目を終えたキハ2100は弘南鉄道黒石線で第二の職を得ることになります。
しかし同線は1998年春に廃止、ここでの活躍は僅か4年足らずでした。



▲上:一足早く廃止された花岡線と共に 下:キハ2107車内 1994-8

10 件のコメント:

  1. ティーレマンファン2021年4月4日 19:32

    小坂鉄道、いいですねぇ~!!
    私の初訪問は、社会人1年目の1995年ですから、旅客営業廃止後ですね。
    あまりに素晴らしいロケーションと三重連貨物の大迫力にすっかりはまり、何度も何度も通いました。
    勤務先が館林でしたので、勤務終了後館林ICから夜通し車を運転して小坂詣でしました。小坂ICが出来る前ですね。

    ホント、懐かしいです!!!!

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  2. ティーレマンファンさん

    小坂線の魅力に取り憑かれた「小坂病」でしたか。
    私の「名鉄揖斐・谷汲病」と同類のため、とても他人事とは思えません(笑)。
    私の場合は初訪問が遅過ぎた上に「いくら三重連といえどもDD13だし・・・」とこれが間違いの元でした。雪沢温泉や新沢周辺の山深い風景、もっと深く究めたかった後悔の念で一杯です。

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  3. 同じ同和鉱業でも片上が近いので
    関西の中小私鉄ファンは小坂には食指が動かず…
    同様に栗原にも行かず仕舞いです。
    東北は遠いので津軽や弘南、南部縦貫を優先してました。
    十和田観光はついでに覗いた感じ(笑)。

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  4. モハメイドペーパー2021年4月4日 22:45

     小坂鉄道から小坂製錬鉄道部→鉄道課→鉄道係と変わり、ついに廃止となりました。盛業の頃はDD51を導入することも検討されていたそうです。

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  5. にぶろくさん

    関東人にとっても東北は遠く(笑)移動はもっぱら夜行急行、自分で稼げるようになってからは「はくつる」愛用でした。私の場合も南部>弘南>津軽>栗原>十和田>小坂という順位になり、やはり十和田は「南部のついで感」満載でした(笑)。小坂は車両は面白みはありませんが、人跡稀な地帯を走る風景は随一でした。

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  6. モハメイドペーパーさん

    DD51導入の件は初めて知りました。DD13形は各地に仲間がいて新鮮味はなかったですから、実現していたらもっと通っていたかも知れません。山深い路線の力行姿、重連か、果たしてどんな塗装になっていたかと妄想します。大鉱山だった小坂も段階縮小→廃止というお決まりの図式でしたが、日本の鉱山の中では持った方でしたね。

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  7. 本当は沼尻、福島交通、花巻、羽後、庄内を巡りたいところでしたが
    我々の世代は間に合いませんでしたね。
    ってか東北の中小私鉄、店じまい早すぎですね(笑)。

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  8. にぶろくさん

    いやー、今が1960年代でこれらが健在でしたら私は東北に移住して骨を埋めるでしょう。
    せめてあと1-2年カメラを持ち始めるのが早ければ、庄内・山形はギリ間に合ったのですが・・・
    どれも強烈な個性で、甲乙つけ難いです。あとは秋田中央、秋田市電、弘前電鉄、松尾、南部(縦貫でなく)、福島臨海も外せませんね。

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  9. 連投ですみません。
    あれは1980年の冬だったか、
    津軽鉄道訪問のついでに八郎潟で下車して
    雪の降る中、秋田中央交通の廃線跡を五城目まで歩きました。
    廃止から10年が過ぎていましたが
    ホームなど軌道跡は鮮明に残っていました。
    五城目の駅舎もバス待合室で使っていたような(記憶が曖昧です)。
    お目当てのEB110(元越後交通)と客車(元キハ04)も
    青と赤というインパクトのある塗装もそのままに保存されていました。
    秋田中央の顔だった元東急の電動貨車デワが残っていればと
    贅沢な妄想が浮かんだのを覚えています。
    せっかくの保存車両も解体されちゃったんですね。残念。

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  10. にぶろくさん

    軌道敷を歩いたのですか。五城目駅舎がバス待合所に使われているのは聞いていましたが、ホーム跡が残っていたとは知りませんでした。EB+ハフは五城目小学校で保管され、いつか見に行きたいなどと妄想しているうちに消えてしまいました。やはりこうした「野晒し保管」はうーむな結末になりますね。

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