▲京福電鉄モハ2005 轟 1981-9
「永平寺町轟」という地名によるものですが、近くを流れる九頭竜川の轟音に因んで命名されたと言われています。この駅舎は、全面白ペンキに塗られつつ現在も残っています。
本日の勝山線当番はいずれも南海OBの2001形と3001形。
▲いずれも轟 1981-9
背後に山、手前はカーペットを敷いたような田圃という山里の風景をノンビリと走ります。
カラーで撮れれば良かったものを、モノクロ一本槍のこの時は背景に埋没しそうな画しかできません。
▲いずれも轟-越前野中 1981-9
・・・とそこへ想定外の列車が。
朝方、福井口でチョイ見したテキ521形の工事列車です。これは撮り直すしかないと同行の友人と即決、このまま炎暑の下で粘ることにしました。
待つことしばし、復路がやって来ました。
この辺りは旧家が多く風景に溶け込んでいるせいか、背後に写り込んでも違和感がありません。
先ほど車庫で昼寝を決め込んでいた271形も出動して来ました。
▲いずれも轟-越前野中 1981-9
続いては永平寺線へ転戦。
朝っぱらから飲まず食わずで歩き続けてきたので、先ずはこちらで小休止にしました。蝉時雨の永平寺駅、ここもカラーで残したかったところです。
281形の前身は東急3300形で、元は院電の木造車。
東急引退後は当線のほか、福島交通や上田交通にも再就職しました。京福カラーも良く似合っています。
241形と同じ車体ながら、こちらは事故復旧車の251形。
2000年の暮れ、このモハ253(ワンマン改造の際251に変更)が悲惨な正面衝突事故を起こし、新生えちぜん鉄道誕生のきっかけを作ったのは周知のとおりです。
沿線に繰り出す頃には陽が傾き、山影が迫ってきました。
ISO125では露出が稼げず、東古市から折り返して来る1本を押さえてタイムアップです。
▲いずれも諏訪間-京善 1981-9
酷暑で全身ヘトヘトになりながらこの日も無事に終了、福井へ引き揚げます。
さてその夜はどう過ごしたのか・・・記憶が全くなく、手元の走り書きメモを見るとまたも夜行列車折り返しとの記載が。
同じ宿に戻れば良いものを、2泊連続で駅前ホテルは贅沢と思ったのか、懲りもせず再び福井から上野行「越前」に乗車、糸魚川で降りて大阪行「きたぐに」で折り返しました。我ながら恐ろしい体力です。
こうしてめでたく一夜を明かし早朝の敦賀に到着、早速ありついた駅蕎麦がえらく美味しかったのを憶えています。
・・・まだ続きます。
▲永平寺 1981-9
もはや苦行ですね(笑)。
返信削除国鉄駅の待合室宿泊は考えなかったのでしょうか?
私は北陸方面では富山駅、小松駅、武生駅で
宿泊経験が多数回あります。
コメントは私でした。
返信削除そうですよね、さすがにこの時代でも一般貨物列車は残っていないですよね、、、
返信削除それにしても、機関車も貨車も架線柱も風景も、全てが昭和!!という感じで、何とも懐かしいですね、様々な鉄道風景を求めて日本中を旅していた時代を思い出しました、、、
にぶろくさん
返信削除この頃は「夜行修行」「駅寝修行」が流行っていましたね(笑)。
駅寝という手段もありましたが、駅舎内で石のようにじっと朝を待つより、動く車内の方が気が紛れるから・・という理由で折り返し修行を選択したのかも知れません。浮浪者に絡まれるのが怖かったというのもあります。現在のようにコンビニがあれば徹夜で立ち読みができたのですが(笑)。
ティーレマンマニアさん
返信削除この頃は電車大写しのカットばかり撮っていて、駅舎やら施設やら背景の建物など、何でもっと写しておかなかったのかと何度悔やんだか分かりません。やはり当たり前のように転がっているものを普段から小まめに記録しておくのが一番ですが、フィルム1本ナンボの時代ですから仕方ないでしょうか。京福の貨物は結構遅くまで残っていて、廃止がこの前年(80年)でしたから滑り込みアウトでした。
北海道と違い北陸のような比較的短距離の夜行折り返しは
返信削除寝過ごすというリスクがありますよね。
大丈夫だったでしょうか?
私は折り返しではありませんが、
富山で降りるはずの夜行急行で寝過ごし
糸魚川まで行った事がありました(笑)。
「立山」か「きたぐに」だったと思います。
にぶろくさん
返信削除夜行列車ではほとんど(と言うより全然)眠れないせいか、乗り過ごしはありませんでした。
寝ない状態で翌日フル活動しても応えないほど体力があった時代だからこそできた所業ですね。
座った途端に寝込んでしまう同行者に、よくいたずらをして気を紛らしたものです(笑)。
掲載車輌でパンタグラフ降ろしているのはTc代用でしょうか。
返信削除あるいは高圧線だけ引き通して2Mとしているのか??
12号線さん
返信削除気にあるので私も調べてみました。
永平寺線だけかと思っていたら、本線でも251や281が片パンだけで走っている姿がありました。
南海車は両パンなのに、これは不思議ですね。
お久しぶりです。
返信削除251形はワンマン改造の際に、251と253との間で車番振り替えを実施しているので、画像の253番は、後の251番(2代目)です。入れ替わった2代目253は間も無く廃車となり、京福事業廃止直前まで福井口の裏で姿を留めていました。
南海車が2パン上げなのは、高圧引き通しは勿論あるのですが(1201の出力増強版1551とかこれで南紀直通サハ4801に暖房電源を供給していましたっけ。)、単に45kW×4の251や281より高出力(75kW×4)だったからでしょうか?
雪うさぎさん
返信削除こんにちは。2パンタ上げ、やはり出力の関係なんでしょうか。
251形車番トレードはすっかり忘れていました(本文訂正しました)。できればこの253+254より旧251+252を押さえたかったところですが、この日は見かけませんでした。そう言えば能面のような改造をされた281は三国芦原線で動いていました。