2022年3月26日

石松電車への挽歌 その1

▲静岡鉄道秋葉線モハ6 遠州森町 1959年

縁あって手元に舞い込む昔日の記録は一期一会、大抵は一路線につき数コマ程度しかないのが常。しかし、古写真探しを長くやっていると、メジャーな路線でもないのに何度か出会う機会があり、静岡鉄道秋葉線(1962年9月廃止)もその一つでした。

秋葉線の記録 →→ その1 / その2

現役時代は決して人気路線ではないですから記録も少なく、同じ袋井から発着する駿遠線に比べるべくもありません。にも拘らずゲテモノ電車好きな管理人に呼応してくれるのか、不思議な因縁を感じざるを得ませんでした。


▲切符も滅多にお目にかかれません

まずこちらは1962年春の記録です。
手作り感満載のモハ7は1926年製の木造単車を戦後改造して誕生。Yゲルを折り畳み式にし、それをくっ付けたような珍妙なパンタ、ブリル21E単台車をこれまた合体して造り出したオリジナルの足回り・・・と強烈な個性派電車でした。

山梨は中間では唯一の有人駅で、工場や変電所がありました。
▲山梨 1962-4

山梨の側線で休む単車のモハ1。
上のモハ7と同時期生まれで、こちらは清水静岡線からの転属組。二重屋根にYゲル装備と随分印象が違います。

フィルム原版は6×6判、オレンジベースになる前の最初期のネガで、元の色が何だったか分からない程に変色しています。黄色のシミやらカビ・キズやらで1日1枚の修復が限界でしたが、元のデータ量が大きいお蔭で縦横無尽のトリミングもへっちゃら、中判フィルムの面目躍如といったところでしょうか。


▲山梨 1962-4

モハ3+ハ3。
砂利道の路肩軌道を進んで来た電車が森川橋を出ると、Sカーブを描きながら太田川を渡ります。
▲森川橋-遠州森町 1962-4

太田川を渡り終えると今度は広い田園を行く専用軌道に変わり、ほどなく終点の遠州森町に到着です。モハ6も「折り畳み式Yゲル合体パンタ」装備車で、こちらはブリルのボギー台車を履いていました。



▲いずれも森川橋-遠州森町 1962-4

遠州森町には狭いながら一通りの設備が揃い、秋葉線では最も駅らしい駅。
構内外れには留置線もあり、ゲテモノ電車が休む姿がありました。
・・・次回に続きます。
▲遠州森町 1959年

2022年3月16日

20系・1992年夏

▲DE111045 尾久客貨車区 1992-8

旧型電機や国電など撮りたい相手が数多あった国鉄時代が終わりを告げると、地域ごとにビミョーな塗装に化けていくデンシャが増え、段々とカメラを向けなくなっていきました。
しかしそんな中でも、客車列車を始め国鉄装束のまま残る列車も少なくなく、私鉄行脚のついでとはいえ機会を見つけては記録しています。

こちらは夏の帰省列車、寝台急行「おが」。
20系は定期運用から外された後も、長く盆暮れの臨時列車に駆り出されます。特急の象徴とも言うべき3本ラインは2本に減り、B寝台だけの寂しい編成になっていました。


▲上野 1992-8

この時は尾久客貨車を突撃訪問。
ダメ元で「これだけ撮らせてくれないか」と頼んでみると、以外にもOKが出ました。近くで見るとあちこちにツギハギが見え、かなりのお疲れモードであることが窺えます。



▲いずれも尾久客貨車区 1992-8

日暮里の常磐線ホームで次々に上ってくる列車をお手軽撮影。
少し待つと推進回送もやって来ます。新幹線開業後とはいえ、各方面への夜行列車はまだ結構な本数が残っていました。





▲いずれも日暮里 1992-8

こちらは東十条駅からほど近く。
まだ薄暗い中、6時を少し回ると主目的の「おが」がやって来ますが、ISO400ではシャッターが稼げずブレてしまいました。ここで長野からの急行「妙高」も押さえます。



▲いずれも尾久-赤羽 1992-8

同時期、東海道筋では臨時急行「雲仙」「玄海」が運行されていました。
品川発の「玄海」は、JR西の編成が「ホリデーパル塗装」なる奇抜なカラーになっており、初めて見たこちらは仰天です。


▲いずれも品川 1992-8 

お馴染みの東戸塚付近で、マトモな方の編成も。
この時は欲張って2台体制、しかし2枚目は見事にお顔に影がかかってしまいました。


▲いずれも横浜-戸塚 1992-8

同じ場所で特急や普通列車も押さえます。
ついでに撮っていた感ありのこれらも、今となっては正解でした。




▲いずれも横浜-戸塚 1992-8

一時代を築いた20系も、1980年秋の「あけぼの」を最後に定期特急の任務を解かれます。
その後も急行や臨時列車用として命脈を保つも、老体に鞭打つような痛々しさは拭えませんでした。そして帯が消され、A寝台も食堂車もない短い編成からは、特急時代の華々しさを窺い知ることは最早できませんでした。
▲品川 1992-8

2022年3月5日

冬の阪堺電車 その2

▲阪堺電気軌道モ164 住吉鳥居前 2021-12

さて明けて翌日、早速「南海アプリ」を開いてみると「当たり」の赤矢印が二つ。
どうやらモ161以外にもう1両が出動し、それぞれ阪堺線と上町線に入るようでこれはラッキーです。先ずはメンバーを確認すべく、住吉の合流地点で待ってみました。
▲南海時代の切符。平野線現役時代に訪ねたかった

最初に恵美須町からモ166がやって来ます。
隣に新幹線を模したような面妖な車がいますが、幼稚園の送迎バスだと後になって分かりました。
▲住吉 2021-12

天王寺駅前からやって来たもう1両は、予想していたモ161ではなく茶塗装の164。
個人的には一番好きなメンバーです。特に運用を調べた訳でもないのに、2日間で全4両のうち3両に会えるとは、まさに僥倖でありました。



▲いずれも住吉鳥居前-細井川 2021-12

欲張って2両とも捉えようとすると、あちこち移動できません。レンズを取っ替え引っ替え、しばらく同じ場所で陣取ることにしました。


▲いずれも住吉鳥居前-細井川 2021-12

ところで阪堺電車の撮影で困るのはトイレ。
停留所にはないし、沿線のコンビニや喫茶店にアタリをつけるしかありませんが、この時は住吉さんで立て続けに拝借、お蔭で焦らずに済みました。

2両出動とあってか、ここには結構な数の同業者がいます。
それぞれの折り返しも押さえてご満悦、一先ず引き揚げることにしました。

▲いずれも住吉 2021-12

「下町感」のある画が今回の課題ですから、恵美須町-住吉間に行かない訳にはいきません。何とか1カットくらいはと、164が入ったのを見計らって次は松田町停留所へ。

駅近くの踏切でここぞとばかりに連写します。
撮り終わって一息ついていると、地元のおっちゃんと思しき二人組が「今行ったのはなん?164それとも166?」と。164だと答えると「そうかあ、おおきに」とえらく納得したご様子、どうやら地元でも人気があるようでした。

▲今船-松田町 2021-12

下町感を満喫しながら、今船停留所まで歩きます。
急坂を下って来る電車を狙おうと練習代わりにこれを撮った瞬間、何と電池切れ。

行動開始は前日午後なのに何だこの体たらく・・・とちょっと唖然ですが、途中で商店街やら街並みやら余計なカットを撮っているし、昨日の夜景もありますから電池がくたびれたのかも知れません。最近はカメラの持ち歩きは1台、大人しくこのまま引き退がるほかありませんでした。


▲今池-今船 2021-12

撮るはずだったモ166に乗車し、前日のスタート地点へ。ここで見送って終了です。

▲スマホ写真でも補正するとまあ見られる画に 2021-12

後で調べてみるとモ161形が1両も動かない日が結構あり、2日間で3両というタイミングは滅多にないことが分かりました。電池を探し回るのも面倒で、この日はあっさりギブアップしてしまいましたが、もう少し気合を入れるべきだったかも知れません。

それにしても、モ161形のシワ一つない秀麗な塗装を始めこの整備状態は見事で、慈愛をもって大事にされていることが分かります。メンバー減少は残念ながら、あと何回かは会う機会を作れそうです。

▲北天下茶屋駅付近 2021-12