2022年6月5日

ジーメンスを追った日々 その6・夏空のデキ

▲上信電鉄デキ1 千平-下仁田 1992-7

通い詰めた「思い入れ路線」は数あれど、ハードルが最も高かったのは上信のデキ。
何しろ月・水・金のみ1往復の運行、しかもウヤだったり片道だけの日もあるし、これに天候の制約が加わればハードルの高さはもう見上げる程でした。

なけ無しの休暇のほとんどは彼のために消化してしまい、あとは若干の家族サービスくらい。我ながらこの思い入れには呆れてしまいますが、「明日貨物は動くか」と電話すると「上りの1往復だけ動くよ」「デキ1が往復するよ」「残念、お休み」と親切に教えてくれた上信の担当者には救われました。
▲下仁田 1992-7

1992年夏のこと、この時はお馴染みの千平-下仁田間ではなく、珍しく平坦区間から始めました。田圃が青々として来ましたが光線はどうにも良くありません。今となっては「露払い」と言うには勿体ない電車たちで先ずは練習です。


甲高いホイッスルと共に、本命がやって来ました。
黒い電機はバックに溶け込んでしまい、ちょっとうーむな出来です。

▲いずれも山名-西山名 1992-7

次の電車で下仁田へ。
見所はこれまたお決まりの入換え作業です。12:00を少し回ると高崎行の電車をやり過ごし、一呼吸置いてからゆっくりと動き出しました。
▲下仁田 1992-7

奥の方から職員さんがぞろぞろ出てきて配置につきます。
入換えパターンが幾つかあり、毎回動き方がビミョーに違うのでカメラを抱えながら右往左往するのが常でした。2両のデキが同時に動くこともあり、その動線はパズルゲームの画面さながらでした。




下仁田は山が迫った行き止まり地点にありますから、夏は壮絶な暑さ。入換え作業も大変な重労働でしょうね。


▲いずれも下仁田 1992-7

小1時間の作業が終わり、上り列車の準備が調いました。
右に停まっている上り電車を見届けてから出発です。


▲下仁田 1992-7 

本日のハイライトは、やはり千平。ここぞとばかりに連写します。
▲千平-下仁田 1992-7

次列車で追い駆けて根小屋へ。
南高崎方へ少し歩いたこの地点は、小走りでぎりぎり間に合うポイントでした。









                                         ▲いずれも南高崎-根小屋 1992-7

高崎へ戻ると、いつも八高線の貨物が停まっていました。帰りはここから東京までノンストップの新幹線を奮発です。
▲高崎 1992-7

この頃は南高崎・西山名・千平以外は全駅が有人で、中間駅は委託のおばちゃん駅長が仕切っていました。既に地方私鉄の一部でしか見られなかった、窓口から硬い切符が滑り出てくる光景もここでは日常。

尤もデキ貨物のダイヤは、まさに電車と「追いつけ追い越せ」。
撮り終えた途端に走って次列車に乗車、降りたらまた息を切らせながら撮影ポイントへ、下仁田でも走って入換えを追い駆け・・・という按配で自分もデキと一緒に走ってばかりでしたから、切符を堪能する余裕はありませんでした。

▲往復券や連絡券も充実していた



▲下仁田 1992-7

2 件のコメント:

  1. こちらの出入り業者やらせていただき納品後に生じました、JRの東京近郊区間有効日数変更も苦慮しながら対応しました。
    今や社線内発券のみとのこと。駅務委託の面々を思い浮かびながら各駅駆けずり回った日々を懐かしく憶えています。

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  2. 12号線さん

    上信とご縁がおありでしたか。
    私のデキ詣では、いつも根小屋で都区内行までの切符を買って「締め」でしたが、これらのカットを撮った頃は既に機械発券になっていました。他社線連絡はなくなるし駅は無人化が進むしで寂しい限りですが、窓口で硬券が買えるだけで有難いのかも知れないですね。

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