2022年7月29日

大阪の昭和デンシャを追う その1

▲阪神電鉄5008ほか 淀川-姫島 2022-3

戦前・戦後の古豪が闊歩していた支線を除けば、関西大手はマトモに撮ったことがないという管理人。ローカル私鉄めぐりの道すがら、大阪の地を踏んだ回数は数知れず、しかし長い間大手各線は移動手段でしかない体たらくでした。

一方で地方ローカルは次々に標的が消え、関東各社もうーむな新車ばかりが目立つ。
とくれば、昭和生まれのデンシャが未だ多く闊歩する関西各社に目が行くようになったのも必然でした。昨年夏、長年の勤め人生活にケリを付け、経済的にはともかく時間だけは余裕ができましたから、その渇望に拍車がかかりました。


▲赤電も撮りたかった

・・・という訳でこの1年というもの、長年の「不義理」を雪ごうと各社を続けざまに表敬訪問です。既にアップした路線はこちらをどうぞ。

南海電鉄 →→ その1 / その2
神戸電鉄 →→ こちら
阪堺電気軌道 →→ その1 / その2

さて、この日の目的は阪神青胴こと5001形。
先ずは腹拵えを兼ねて事業用車・201・202形を見るべく尼崎を一覗きです。

▲尼崎 2022-3

5001形が神戸方に発車したのを確認、折り返し狙います。
先ずは光線のアンバイが今一つながら、カーブが絵になりそうな姫島駅ホームに陣取りました。


▲いずれも姫島 2022-3

神戸方から折り返しの5021編成がやって来ました。
阪神車についてはド素人の管理人、多くを語る資格はありませんが青胴車はこちらの2代目5001形以外にも、先に引退した5331・5131・5311・5261・・・・とパズルのように形式が細かく分かれています。
ホームの反対側から。
5001形は武庫川線の赤電なき後は俄然注目度が高まり、今や唯一の「阪神顔」になりました。デビューから45年経っても全編成が健在というのは特筆すべきと思いますが、2023年度までに引退が予定されています。




▲いずれも姫島 2022-3

光線状態がどうにも悪く、インカーブ構図は諦めて隣の淀川駅へ移動です。
8000系も、デビュー当時の赤胴カラーだったらもっと一生懸命追いかけていたでしょうね。




本命が来ました。
四角四面の昭和顔にパンタグラフという出で立ちは、やはり落ち着きます。曲線が乱用された最近のデザインには「とてもついて行けない」せいかも知れません。

▲いずれも淀川-姫島 2022-3

振り返ってもう1枚。
▲淀川 2022-3

最後は野田駅へ。
鉄板の順光カットばかりではツマランですから、わざと逆光側からも望遠で狙ってみます。この時期にしては珍しく、終日快晴でした。




▲いずれも野田 2022-3

3月始めというのに、初夏のような陽でした。明日は近鉄に向かう予定です。
・・・次回に続きます。
▲姫島 2022-3

2022年7月20日

午後の大井川 その2



▲大井川鉄道モハ1906ほか 抜里-笹間渡 1990-11  

さて、今回はアプト区間の「ついで」の感ありの本線訪問、駅めぐりと沿線撮影をノンビリと続けます。既に晩秋の短い陽は傾き始めていました。

▲いずれも駿河徳山 1990-11

▲下泉 1990-11

下泉駅舎。
乗降客数50人前後と有人駅では最も少ないながら、蒸機列車が停まります。駅前通りは広く集落もあれば商店も建ち、そこそこの賑わいがありました。


▲いずれも下泉 1990-11

第一橋梁付近の「お立ち台」。
今日はこの名鉄+西武コンビが主力として終日動きました。


▲いずれも抜里-笹間渡 1990-11

夕陽を浴びながら、長編成の蒸機列車もやって来ます。
新金谷に転車台のなかったこの当時は、上りのほとんどは逆機でした。


▲いずれも抜里-笹間渡 1990-11

辺りが暗くなり始めた頃、今度はこちらへ。苦しい露出ながら、無理やり構えます。


▲いずれも 1990-11

続いてやって来る電車も同じ位置で。
茶畑に送風扇が立っていなかったこの頃は、視界が広く感じます。


▲いずれも 1990-11

最後は家山駅。
改札を抜けて構内踏切を渡るローカル駅はやはり落ち着きますね。
ここでアルミ+ステンレスをピンボケ気味に撮って打ち止めにしました。



▲いずれも家山 1990-11

さて、大井川鉄道が投資会社の傘下に入ってからというもの、めっぽう足が向かなくなりました。理由は言わずもがなですが、レール存続のためですから遊園地の延長のようになるのも「ある程度は」仕方がないのでしょう。

しかし一方で公共交通なんだかテーマパークなんだかよく分からないような、境界線を超えた「何でもありOK」の風潮にはどうにも馴染めません。
例えばアニメキャラ全面ペイントに「たま電車」に「チャギントン」に・・・あ、これ以上は言わないでおきます(笑)。


▲現在も硬券王国です

2022年7月9日

午後の大井川 その1


▲大井川鉄道モハ3822 抜里-笹間渡 1990-11

次々にデンシャを使い倒してきたお蔭か、大井川鉄道には「○○線と言えば○系」といったようなシンボル的な電車が思い浮かびません。管理人と同じアラ還世代だとやはり西武351形や名鉄3800形、若い方なら近鉄車や南海車となるでしょうか。

30年以上に亘り第一線で活躍した電車もいれば、碌に動かぬままお役御免になったメンバーもいる。南海丸ズームなどは相当長い部類になりますが、いずれにせよこれだけの路線にも拘らず、歴代車種がこれだけ多い路線はあまりないでしょう。
▲記念切符乱発でも有名だったが、これは好きなデザイン

さて長い前置きでしたが、1990年晩秋のこと、開業間もない井川線のアプト区間を見に行こうという話が持ち上がりました。
その顛末は次の機会にアップするとして、本日はその道すがらー管理人的にはこちらがごヒイキですがー立ち寄った当時の本線を振り返ってみたいと思います。
▲前泊した千頭近くの宿から。井川線のミニ列車が望めました 1990-11

▲峻険なアプト区間。こちらは次の機会にアップします 1990-11

・・・という訳で先ずは新金谷へ、主力メンバーを見て回ります。
この頃、最も長く在籍した西武車や名鉄車に加え、晩年の北鉄加南線で鳴らした「くたに」「しらさぎ」コンビ、増結用の小田急1900系もいたりとバラエティ豊かな布陣でした。本日はどうやら北鉄車が両方とも動くようです。


▲いずれも新金谷 1990-11

井川線アプト区間を堪能した翌日はこちらへ。
崎平駅には大井川共通仕様とも言うべき駅舎が残り、地元コミュニティに利用されているようでした。

ここを含め、かつては乗降僅かな小駅にも駅員さんがいて、日々乗客とのやり取りが繰り広げられていました。その大部分は1970年頃に無人化され、駅舎だけが残されました。



▲いずれも崎平 1990-11

第二橋梁を渡る主力の西武351系+名鉄3800系。
行楽シーズンとあって電車は3連・4連、蒸機列車も長編成でやって来ます。旧岳南の異色のステンレス車、モハ1105も姿を見せました。



▲いずれも青部-崎平 1990-11

北鉄6010系と西武371系コンビ。
371系は元国鉄の戦災復旧車で、一大勢力を誇った311系の一派でした。
3枚目のC5644は検査切れで去就が心配との声がありましたが、その後どうなったでしょうか。





▲いずれも下泉-田野口 1990-11

・・・とここで枚数がいってしまいました。
次回に続きます。

▲新金谷 1990-11