2022年11月3日

四季の谷汲線・春(2)



▲名古屋鉄道モ758 更地-北野畑 1996-4

「世の中にたえて桜のなかりせば・・・」を体現したかの如く、開花情報が飛び交い始めると毎度落ち着きません。撮りたい対象が激減した今もなお治らないというのは、いかに長年同じようなヤキモキを繰り返してきたかの証左でしょう。

1996年春、地元観光案内のホームページで「八分咲き」を確認したのを見計らい、それ行けってんで週末の急行「銀河」で一路岐阜へ、夜明けと共に行動開始です。絵に描いたような清冽な空の下、先ずは例によって黒野のスナップから始めました。

▲黒野 1996-4

車窓に顔をくっ付けるように沿線の桜を凝視、しかし八分どころか堅い蕾が見えるだけ。不安を抱えたまま谷汲までやって来ると、こちらも勿論同じです。意気消沈するも、気を取り直して馴染みの場所で構えてみることにしました。


▲谷汲 1996-4

天候も光線も申し分ありませんが、何しろ本日の主役がいませんから、どうにも意気が上がりません。
▲北野畑-赤石 1996-4



▲北野畑 1996-4

北野畑駅の手前に菜の花の群生が見えたので、これを中心に据えてみます。
モ758は1998年春の減量ダイヤ改正で引退、これ以降はモ751・754・755の慎ましい陣容で廃線の日を迎えました。

▲いずれも更地-北野畑 1996-4

北野畑から坂を一気に駆け下りるモ758。
▲更地-北野畑 1996-4

更地駅の巨木もこのとおり。
こちらは1分咲きといったところです。桜は個体差が大きい上に岐阜市内と黒野以北ではかなり差があると聞いてはいましたが、これほどとは思いませんでした。
▲更地 1996-4

続いて2連が入線していた揖斐線へ転戦。
清水駅のホーム脇に佇立する2本の巨木も1分咲きでした。

1978年の瀬戸線昇圧に伴ってやって来たク2320はモ750よりも先輩格で、元は愛電の電7形。この日は元気に動き回る姿が見られましたが、翌年にモ780形が登場するや全車が引退してしまいます。


▲清水 1996-4

揖斐線末端区間も早々に切り上げ、次は藪川橋梁へ。
こちらも鉄板のアングルながら、土手に座り込んでしばらく粘ってみました。


▲いずれも政田-下方 1996-4

夕方のラッシュに差し掛かるとモ510も出動。
廃線間際にはイベントや臨時列車で登場の機会が増えたモ510形も、この頃は朝夕しか拝むことはできませんでした。

▲岐阜駅前-新岐阜駅前 1996-4

北鉄OBのモ550形もゆっくりとやって来ます。
ひしめくバスに挟まれて肩身が狭いのか、細身の車体が余計細くなったように見えました。

▲いずれも新岐阜駅前-金宝町 1996-4

辺りが薄暗くなってきた頃、モ513+512を見送って打ち止めにしました。

▲新岐阜駅前-金宝町 1996-4

桜にはスカを食いましたが、モ700+ク2320最後の姿やモ510の活躍も見られて取敢えずは満足。しかしこの花は本当に難敵で、満開の期間+天気+自分の都合(土日)のタイミングが揃わないと無理ですから、肘鉄も食らおうというものです。結局この翌年もスカ、雪辱を果たしたのは翌々年のことでした。
▲相羽-黒野 1996-4

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2022年11月3日 10:33

    岐阜市内と黒野から先とでは、天気具合がまるっきり別世界です。春先だったら1~2週間くらいのずれがありそうですね。

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  2. モハメイドペーパーさん

    当時の気象予報は今ほどの精度ではなかったですから、岐阜市内で納得してしまったようです。これで懲りたので、雪景色の時は役場に電話して雪を確認してから出かけました。お蔭で遭難しそうになるくらいの大雪に恵まれました(笑)。

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