2022年12月18日

富士急と岳南 のんびり散歩

▲岳南鉄道ED291 比奈 1991-12

1990年代始め、世はバブル狂想曲の最終楽章。
しかし、社会に出て未だほんの数年、長時間かつ低賃金労働者の管理人にとっては彼岸の出来事でした。そんな世の風潮に嫌気が差していたのか、余裕がないにも拘らずこの時期は遠出から近場まで結構な頻度で撮影に出向いています。

1991年の暮れも押し詰まった頃、「富士急から硬券がなくなるらしいから、各駅を漁ってくる」という友人のクルマに便乗。ついでに撮影もさせてくれと懇願し、先ずは霜の降りたこちらの駅から行動開始です。

旧小田急2200形の5700形もすっかり板に付いた様子でした。富士急での形式は導入年度を元に付番しており、これは1982年(昭和57年)登場なので5700、というアンバイです。


▲いずれも田野倉-禾生 1991-12

陽が高くなってきたところで、本日の出動メンバーを一通り抑えます。
鮮烈なデビューを果たした5000形は富士急初の冷房車で、今後の自社発注車の方向性を示すかと期待されましたが後が続かず、2019年に引退しました。





▲いずれも東桂-三つ峠 1991-12

クルマですから次列車を気にすることなく、各駅で切符を漁りながら至極ノンビリと撮り回ります。

▲下吉田 1991-12

美しく整備されていた頃の3100形。
1956(昭和31)年登場ですから3100形という訳ですが、この時点で既に車齢35年が経過していました。97年に廃車後は中央線旧線(小淵沢-信濃境)跡というハンパな場所で荒れるがままに放置されていたようで、何でまたそんな場所に据え置いたのか理解に苦しみます。

開業時に登場した1形。
1952年に車体が載せ替えられて500形へ更新されると、旧車体は上田丸子電鉄へ渡りモハ4250形に再利用されました。別所線で余生を送っていたところへ富士急60周年記念事業の一環として白羽の矢が立ち、里帰りを果たしています。

1形を500形へ転生し、更に近代化改造を施したのが3600・3630形。
5700形に追われる形で撤退、3602と3603が最後まで事業用として残っていました。
工事用でしょうか、トとワフ2両がくたびれた風体を晒していました。

▲いずれも河口湖 1991-12

こちらは「ハイランドスケート号」として待機中でしょうか。


▲河口湖 1991-12

午後からは岳南鉄道へ転戦です。
週末で貨物はなく、こちらも切符を買い集めながらノンビリと眺めて回りました。

▲岳南江尾 1991-12

比奈駅のお決まりの位置にはED501が冬の陽を浴びながら停まっていました。
このED501と291は貨物列車なき後も、雨ざらしながら岳南富士岡で保管されています。

▲上:比奈 下:岳南富士岡 いずれも1991-12

戦前形デンシャはいないし、電機も昼寝中とあっては撮影意欲もさして湧かずにチョイ見だけで終わりました。しかし考えてみると、30年経った今も残っているのは置物と化した上の電機2両と富士急1形だけで、稼動はゼロ。ほかに5700形が笛吹市で保存されている由、果たしてどんな扱いをされているでしょうか。
▲田野倉 1991-12

2 件のコメント:

  1. 富士急は、写真撮影に適した場所が意外と少ないが、探せばあるものですね。小田急車は典型的な通勤タイプなので、行楽目的で乗車すると正直ちょっとがっかりしました(笑)。河口湖駅留置線は、以前は型式写真撮影向きの空き地のような場所でしたが、1991年時点では、もう周囲が宅地化されていますね。

    返信削除
  2. 緑の猫さん

    富士急沿線は住宅地が迫っていたり道路が並行していたりと、撮影ポイント確かに少ない気がしました。この時は友人のクルマに便乗でしたが、やはり撮影は地図片手に沿線を徘徊しないと分からないですね。観光客も小田急車だと興ざめだと余計な心配をしてしまいますが、都心から来る客は皆特急に乗ってしまうので問題ないのでしょうね。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。