▲名古屋鉄道モ605 上芥見 1995-6
戦前戦後の古豪が長く闊歩してきた名鉄本線系。
しかし、それも1977年の6000系登場で巨大な曲がり角に差し掛かり、以降は一気に淘汰が進んでいきました。同時に管理人の関心も600V線区へ移っていき、この当たりから「揖斐・谷汲詣で」が始まります。
そんな中でも戦前の名車・800系とイモムシこと3400系が動態保存車となり、未だに奮闘。しかも3400系がグリーン基調に復元され、更に両者の競演もありと聞けば、これは黙って見ている訳にはいきません。
1995年のよりによって梅雨の真っ盛り、急行「銀河」を降りてみるとこの時節に似つかわしくない快晴。広見線・善師野からしばらく歩いた場所で構えてみます。出自も毛色も違う2形式が仲良く手を繋いでやって来ました。
▲いずれも善師野-西可児 1995-6
人家が見当たらないこの区間はアングルの自由が利き、しばらく周辺を徘徊。
最後まで残った2両の800系は何れもうーむな高運転台車ですが、贅沢は言えません。うちモ811(旧モ802)は生粋の800系で、一度片運化されたのを再度両運に戻しています。もう1両の812は3500系を改造した編入組でした。
主力の6000系らも押さえておきます。
旧型車を追いやった仇ながら、今となっては撮っておいて正解でした。
▲いずれも善師野-西可児 1995-6
犬山まで戻った後はこちらへ、これも見ておきたい風景でした。
大型電車が路面を闊歩する姿はいつ見ても痛快ですが、ここでは「伸し歩く」というよりはクルマに遠慮しながら静々と近づいて来る印象です。
▲新鵜沼-鵜沼山遊園 1995-6
緑のイモムシは、しばらく安泰とおもっているうち廃車になってしまいました。3連の3300系も目立たない存在でした。両開きドアの上半分が銀色なのも貴重な記録です。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除あっ、全部6000かと思っていたら3300もいましたね!
名鉄の更新車にはめっぽう疎くてどうも皆同じに見てしまいます。6000顔や3700顔、これらが忍者のように途中からビミョーに変化したりするので(笑)。
3400も800も動態保存車として残りましたし、特に3400は苦労して色を復元したり冷房化までしているのに、本当に残念でしたね。
こんにちは。
返信削除最近では、走行機器を流用した更新車も殆ど見かけることはなくなりました。
新しい車体から古い電車の音が聞こえてくるミスマッチが面白く、興味を惹かれる存在でした。
残念ながら名鉄のそれらの車両に乗ることは叶いませんでしたが、お写真を拝見して楽しませて頂いています。
7300系はパノラマカーの時代、3300系は6000系以降の時代、それぞれが製作された背景がデザインからも見えてきて面白いですね。
800系、3400系と共に、今日も楽しく拝見させて頂きました。
風旅記さん
削除1990年代までの名鉄は車両・運用・駅とも大手私鉄とは思えないほどのカオス状態でしたが、車両の方は随分と「普通の大手」然とした姿になりましたね。車体は同じでも機器は全然違うという楽しみ方も、ここと東武くらいしかありませんでした。
800や3400は動態保存的に残っていましたが、一時代を築いた車両だけにもう少し延命して欲しかったです。
こんばんは。
削除お返事ありがとうございます。
西武の数々の形式、東武の3000・5000系列など、そのときの社会のニーズに合わせるために車体だけ新しくした、吊り掛けの車両がありました。
京王5000系の2両編成、小田急4000系、相鉄と少数だけの社もありましたが、全くそのような車両が作られなかった大手私鉄は、地下鉄を除けば東急くらいだったのかもしれません。
初代スカイライナーの機器を流用した京成3400系の引退が進み、いよいよ機器を再利用した車両が関東の大手からは消えていこうとしています。
名鉄では、パノラマスーパーの機器を再利用した5000系がこれからも長く活躍しそうです。
ただ、どちらも種車も高性能車、完成度が高過ぎて、吊り掛け駆動の車両のような違和感や趣味的な面白さは感じづらいですね。