▲名古屋鉄道モ601 上芥見 1995-6
小学生時代の愛読書、学研「科学と学習」の付録で未だに忘れられないものがあります。
タイトルは失念したものの、鉄道史のこぼれ話を面白おかしく、かつコンパクトにまとめた小冊子でした。1872年の鉄道開通間もない頃の鉄道員の話、当時の乗客が履物を脱いで客車に乗り込んだ話、戦前の豪華特急「富士」に備えられたシャワー室とその利用券争奪戦の話・・・などは未だに憶えています。
そして、それらと共に鮮明に記憶に残るのが1930年代の「流線型時代」の話でした。
流線型と言えば「こだま型」や新幹線くらいしか知らない当時の管理人にとって、C53や55、流電こと52系やキハ43000のような強烈なデザインが戦前に存在した、という事実を知った時の衝撃は相当なものでした。
1937年に誕生した名鉄3400系もそうした時代の産物。
同時代の流線型仲間、例えば阪急200形に「阪神の金魚鉢」こと71形、京阪1000形に山陽200形・・・何れもとうの昔に引退する中、2002年まで驚異的な長命を保ったのは特筆されるべきでしょう。
さて、引き続きイモムシ撮影を続けます。
田圃の真ん中で構えるのも露出がそろそろ限界、走行シーンを切り上げて明智に戻って来ました。ここで改めて間近で眺めます。
▲明智 1995-6
夕方のラッシュに差し掛かり、通学生らをフレームに入れてみます。
向かいにはもう1両の800系、モ812がいました。812は戦時中に登場した3500系(モ3502)が前身で、1981年に800系に改造。仲間のモ813・814は既に引退していましたから、3500系残党の最後の1両になりました。
▲いずれも明智 1995-6
これにて初日は終了。
内容の濃い1日が終わり、モ811に乗って犬山の安宿へ向かいました。
▲モ811車内 1995-6
明けて翌日は梅雨らしい空模様。
先ずは朝の小牧線に入るモ800からです。犬山にほど近い田県神社前で構えていると、モ811が7300系とコンビを組んでやって来ました。
▲いずれも田県神社前 1995-6
これだけで広見線へ戻り、次は3400系と組むモ812。
せっかくの異種混成、サイド気味に撮れないかと可児川を渡るシーンを狙ってみますが、この空模様では何ともうーむな画しかできません。
やはり長居はできず、次の目的地・美濃町線へ向かうことにしました。
▲可児川 1995-6
一旦新岐阜へ戻り、新関行のモ601に乗車。
途中、日野橋までは徹明町からやって来た道産子ことモ870形と続行運転です。
上芥見で下車。
イモムシや800系と並んで、今回最大の目的がこの停留所風景でした。
▲上芥見 1995-6
クルマや自転車に胡散臭そうに見られながら、しばらく周りをうろうろします。
狭い生活道路の端っこを借りてゴロゴロと走る風情は、道路が舗装されこそすれ、1911年の開業当時とあまり変わっていないのではないでしょうか。
▲いずれも上芥見 1995-6
イモムシ3400系は現在でも通用する洗練されたデザインだと思います。
返信削除にぶろくさん
返信削除そうですね。戦前製とは思えない秀逸なデザインだと思います。
同時期の流線型車もそうですが、わざわざ保守の手間のかかる仕様にした所など、当時の職人魂のような心意気を感じますね。
こんばんは。
返信削除名鉄という一つの鉄道会社の中に、これだけ多様な光景が散らばっていたのが、本当に楽しい世界ですね。
岐阜の600V線区への憧れは今も変わりませんが、それだけでなく、本線から支線まで様々な車両が走り、新旧入り混じっての総力で成り立っていた感覚、私も見てみたかったと感じます。
今のステンレスの新車に配された赤は鮮烈なイメージですが、吊り掛けの車両の少し汚れたスカーレッドはまた違った印象だったのではないでしょうか。
今も現役で走っているのは、こちらのお写真の中では1枚だけかと思います。
洗練されつつも、どこかおとなしく無難になっていった名鉄、今は今で見ておかなければいけないですね。
大手とは思えないほどゲテモノ揃いだった名鉄も、昨今は随分と大人しくなりました。と言っても十年後にはこれらも懐かしい風景になるでしょうから、記録しておきたいところです。
削除「日本一カオスな駅」と話題の名鉄名古屋(新名古屋の方が馴染み深いですが)や、割箸のように細いホームの中間駅など、これまでスルーしてきたこれらの風景も改めてじっくり見ておきたいですね。
こんばんは。
削除お返事ありがとうございました。
確かに“ゲテモノ揃い”だったのだろうと思います。そして同時にパノラマカーまであって、特急以外にも使われていたというあたり、興味は尽きません。
どれだけ古い車両が混じっていても、支線まである程度の頻発運転と名古屋への直通を設けて、沿線地域の欠かせない足だったはずです。
近年の合理化でその名鉄の良さが少しずつ維持できなくなってきているように感じるのが、遠方から見ていても心配になります。
また訪ねたい鉄道です。