2023年3月5日

イモムシ君と梅雨空トラム その3


 ▲名古屋鉄道モ601 競輪場前-北一色 1995-6

モ600形は美濃町線の新岐阜乗入れを企図し、新製車体に中古部品を合体させて誕生。
狭小な車両限界に対応した車体に屋根上にもぎゅうぎゅうに積まれた機器類、花巻電鉄デハ1形を想起させる3枚窓の顔と、超個性的なデンシャでした。本家・花巻の1,600mmには及ばないものの、2,236mmという細面は「馬面電車」と呼ぶに相応しいでしょう。

さて相変わらずの雨空の下、モ600を追い掛けます。
上芥見駅の佇まいがすっかり気に入ってしまい、結局2時間も粘りました。かつては砂塵を巻き上げながら、ここをモ510形がゴロゴロと走っていたのでしょう。
▲上芥見 1995-6


▲上芥見-白金 1995-6

▲下芥見-上芥見 1995-6

▲上芥見-白金 1995-6

とうとう空が泣き出してしまい、取り合えず場所を変えることにしました。美濃方面に行ってみたい気もしますが、ここは新岐阜方面に引き返します。
▲上芥見 1995-6

さて、きつい段差を危なっかしく降りたのは北一色。途中、車窓から見えた古い家並みが気になっていた電停でした。
▲北一色 1995-6

古い商店を横目に見ながら、連なってやって来ました。
モ600と道産子が続行でやって来る姿は楽しいものです。

昔はこの辺りも賑やかな商店街だったのでしょうが、大方の店はシャッターが降りていました。道路は上芥見より広いものの、電車とクルマがやっとすれ違える程度の幅しかありません。

▲いずれも競輪場前-北一色 1995-6

振り返った風景がこちら。
おばちゃんの写っている辺りが緑色に塗られた乗降スペースで、ホームはありません。
これは岐阜市内線も同じで、およそバリアフリーとは無縁。クルマが渋滞などしていたら冷汗ものですが、長年続いた当たり前の風景だったのでしょう。


▲いずれも北一色 1995-6

さてこれでお仕舞い・・・と思いきや、帰途の車窓から見えたデキらに引き止められ、急遽須ヶ口で下車、隣接する新川工場(現:犬山検査場新川検車支区)へ行ってみます。駆け寄ると、入口近くに2両、奥にもう1両のデキがパンタを上げて停まっていました。

▲新川工場 1995-6

デキ300形は三河鉄道が1925年に新製した国産機。
デキ305は93年に更新工事を受けて軽快な姿に変わりました。総勢6両のうち、現在も303が舞木検査場の入換え用に残ります。

未更新のままのデキ370形は、愛電が1925年に導入したWHコピー機。
各線に分散配置されていた9両のうち、デキ378は瀬戸線の379と共に長命を保ちましたが、いずれも現在は廃車されています。

東芝戦時設計のデキ600形もいました。
デキ603は海南島へ渡る筈だったのを譲り受けたもので、リニューアルされて2015年まで残りました。

▲いずれも新川工場 1995-6

うーむな空の下、1.5日ながら頗る内容の濃い撮影行となり、満足顔で帰途に就きました。
しかしこの翌年に800系が相次いで引退、次いで2001年には3400系も定期運用から離脱。動態保存だから当面安泰と高を括っていましたが、何とも呆気なく幕を閉じてしまいました。

一方の美濃町線。
こちらも、1999年に新関-美濃間が廃止された後も新車(800形)がデビューし先ずは一安心・・・と胸を撫で下ろしたのも束の間、600V線区廃線の大ナタを振られてしまい、2005年に命脈が尽きました。


▲いずれも新鵜沼-犬山遊園 1995-6

4 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2023年3月5日 18:13

    路面にホームを設けられなかったのは道幅の制約もあるけど、岐阜市と警察が電車を目の敵にしていて、ペイントで区分するのもなかなかOKが出なかったと聞いています。もと札幌の870形は最後に複電圧改造するなど、名鉄もよく頑張りましたね。

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  2. モハメイドペーパーさん
     
    岐阜市内線も含めて、行政が市内電車を邪魔者扱いしていたというのはよく聞きますね。現在のようにトラム見直しの機運が高ければ、600V線区も全滅せずに済んだだろうと考えると残念でなりません。
    870形は諸処改造したのに、勿体なかったです。連接車が祟って引取り手がなかったというのも不運でしたね。

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  3. こんにちは。
    美濃町線、とてもいい情景があったのですね。
    お写真を拝見しまして、改めて魅力を感じています。
    車両は名鉄の企業努力で更新され、新岐阜への直通などできることをやってきたのだと思いますが、道路に敷設された併用軌道だけは名鉄単体ではいかようにもできなかったのだろうと思っています。
    趣味的には前時代的な軌道の光景に強く惹かれますが、地域の行政の協力なしに、今の時代の安全への常識から考えて、このまま路線を残すことはできなかったのではないでしょうか。
    北陸地方や宇都宮でのLRTの功績、広島に見る経営努力などを見るに、岐阜での旧態依然とした行政の感覚のままに、市内の軌道線が全廃に追い込まれてしまったことが悔やまれます。
    関方面を訪ねたことがありますが、日常の暮らしの交通という観点では、美濃太田に向かう長良川鉄道は動線から外れてしまっているように思います。

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    1. 風旅記さん

      美濃町線は時代離れと言うか異空間のような路線でした。
      それだけに趣味的には絵になるシーン満載で楽しい路線でしたが、よくもここまで残っていたものだと思います。
      岐阜市が600V線区を邪魔者扱いしなければもう少し生きながらえたと思いますが、狭い道路の端を間借りするレールではやはり存続は難しかった気もしますね。

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